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2013年03月27日

「子どもの家」の子どもたちの問題:大極さん帰国

午前6時起床。快晴 真夏日

午前7時朝食。
「ブン・クア」(マニ団子のブン麺」


午前9時、バオミンさんと一緒に「子どもの家」へ。
セン運営委員長と3人の男子問題について協議。

(A君)16歳
・小学校から中学2年生位までは、常に「成績最優秀」
 だった。中二位から「怠学傾向」が現れ、
インターネットカフェーに入りびたりとなる。
 共産党幹部の子弟など「金持ち」仲間にくっつき、
インターネットゲームで「金儲け」を覚える。
 高校入試頃には、ほとんど学習意欲を喪失。
 学校へも行かない日々が続く。「子どもの家」
スタッフには、学校へ行っている「ふり」をして。
 何とか高校入試間際に「発破」をかけて、
 県立高校の最低線で高校に滑り込む。
  姉はフエ最優秀の「フエ師範大生物学科」
 3年生。何度も弟に注意をし、正業に戻るよう
叱咤激励するが、残念ながらA君には通じない。
 高校に通いだして半年。高校への通学を
止めて、ふらふらしている。「子どもの家」スタッフ
が注意し、学校へ謝りに行き、再度通学を始める。
2月のテト正月で姉と一緒にフエ郊外の農村に
ある実家へ帰省。その後、2ヶ月。「子どもの家」へ
帰ってこない。
 セン委員長・寮母さんとA君の姉、母と何度も
話し合うが、Aは何を考えているのか?誰も
分からない。今日まで母親のいる家から
「子どもの家」へ帰らない。母親は道路工事の
作業員。日収も少ない。
 先日も母親とセン運営委員長と話し合う。
母親ー自分が引き取り育てるとの主張
センさんー「子どもの家」で高校卒業まで
頑張ったほうが良いとの主張。
母親には多少知的障害あり。
母親と本人が「子どもの家」を出て、一緒に
住みたいとの希望がある以上、無碍に断る
こともできない。姉は、なんとしても弟は
「子どもの家」で生活すべきとの意見。
姉は、今年の夏から中学校か高校の生物学の
先生になる。

現状では、2012年9月から2013年8月の
1年間の中間テストなどを一切していないので
A君は落第必死。1年間を落第とし、再度
復学するかどうか? 母親・姉・A君を
交えて再度協議することにした。
A君自体は、優秀な能力を持っている。
現在の怠学傾向を何とか克服すれば、
将来への様々な可能性を秘めている。
私たちもあきらめずに、引き続きA君を
説得していくことにし、「しばらく注視する」
ことにした。

B君(17歳)
高校受験に失敗。今年再度挑戦し、
フエ市内の航高校へ入学。
しかし学校での「いたずら」「非行傾向」が強く
何度も職員室に呼ばれ、先生に注意されている。
〔授業中、静かに座っていられず、おしゃべりを
続け、授業を妨害する)こと多々あり。
 学校をサボって「金持ちの息子」たちと遊びに
行き、勉強をしない・・・・・。
セン運営委員長・寮母さんと何度もB君は
話し合いを続けているが、口ばかりで、
常に学校で問題を起こしている。
2月のテト正月帰省。母とB君の2人家族。
父親は不明。
2週間のテト正月が終わってもB君は「子どもの家」
へ帰ってこない。
母親から連絡あり。B君を母親の住んでいる田舎の
高校に転校させたとのこと。
しかし、転校先と称している高校からは、
「転校を受け入れた」との連絡はない。
本当に転校手続きをしたのかどうか?を再度調査し、
B君が本当に母親と同居したという気持ちがあり、
転校手続きが完了していた場合は、退所を容認する
こととした。母親の仕事は、メイドさん。収入は少ない。
B君の将来のことを考え、慎重に対処方針を
考えることにした。

C君。小学校4年生。

テト正月中に帰省。そのまま「子どもの家」へ
戻らない。
小学校に入ってから、近くの市場や「子どもの家」
付近の商店から「万引き」をしたり「ものを盗んだり」
と何度も警察に捕まっている。
そのたびにセン委員長・寮母さん・時には
私やバオミンさんなどが注意してきた。
両親がいなく、田舎の農村に祖母がいるのみ。
2人の姉と3人で入所した、本当に貧しい農村の
子どもたちである。
「子どもの家」のスタッフたちとも話し合い、
様々な問題・警察沙汰・その他諸々の
問題は起こすが、何とか「愛情を持って」
育てていこうとの意思統一をしてきた。
中1・中2の姉は、問題なく真面目に生活している。
C君はなかなか「つわもの」で難しい子どもでは
ある。
母親は死亡。父親は知的障害があり、現在行方不明。
祖母は庭で野菜を作り何とかその日を暮らしている。

C君の家庭を見ると現在のベトナム共産党が
進めている「ドイモイ政策」の本質が浮かび上がって
来る。一部の特権階級の人々は、ベンツに乗り、
子どもたちを海外留学させている。
子どもに3つも4つもの塾にいれ、勉強をさせている。

C君の家庭は高齢の祖母一人。農家の庭で自分の
食べる程度の野菜を作るのが精一杯。
祖母は、C君が祖母と暮らしたいとの希望が
あるので「退所させ、引き取りたい」との希望を
伝えてきた。しかし、現在の祖母の生活能力
からして、C君と二人での生活資金がない。
今後は、「在宅支援」という方向も考えながら、
引き続き、中1・中2の姉は「子どもの家」で
養育し、C君は本人と祖母の希望を生かしなら
「在宅支援」の方向も視野にいれて考えていく
ことにした。


フエ芸術大学5年生のフック君が、卒業制作の
ための絵の具代が欲しいといってくる。
既に2万円の卒業制作代を上げている。
今日は、更に額縁と絵の具代として5万円
欲しいとの話だった。
里親の方からは、年間42000円の里子費用
を頂いている。42000円は、食費等に充当。
フック君の絵の具・卒業作品つくり代は
JASS観光・刺繍みやげ物店・日本料理店
日本語学校などの収入を充当している。
卒業作品に7万円もの金額(日本の価値だと
70万円に相当する)を出すことは、限界と
ベトナムの常識を超えている。
バオミンさん・センさんが、「卒業作品」を
作ることには、全力で応援する。
しかし、7万円もの大金をかけるのは
無理、と話す。絵の具などはフランス製など
最高級のものを使っている。
担当の先生と相談し、絵の具や額縁など
ベトナムの常識的な範囲でやるように
話す。本人は、自分で最高級の絵の具などを
指導教官とも相談せずに、センさんに請求し、
今までは、本人のいうことを聞いて支払って
来たが、7万円という高額の請求を当然の
ように行ってくることに疑義を感ずる。
JASSの支援者・「子どもの家」は大金持ち
ではないので、常識的な範囲で卒業制作を
するよう注意する。
その後、調べてみると同じ絵の具でも
ベトナム製もある。フック君は、外国製なら
何でも良いものと思い込み、値段を考えずに
セン委員長に請求している。
一人1年間42000円で生活している
「子どもの家」で7万円というお金がどんな
意味があるのかを縷々説明する。

本人もセン委員長・バオミンさんの話を聞き、
芸大の指導教官と話し合い、「子どもの家」の
懐具合(ふところぐあい)を考えながら
卒業制作をするということになった。

A君・B君・C君・フック君と少年から青年・
大人になる過程を辿る「男子」の成長は、
女子よりも複雑で「繊細なもの」を持って
いることが分かる。

2時間ほど、「子どもの家」で話し合い。

午前11時半。昼食。
「春雨麺」「マンゴー」


午後1時から2時間程昼寝。

午後4時、日本料理店で大極さん親子と会う。
大極さん親子は、午後5時フエを出て車で
ダナンへ。ダナンからホーチミン→中華航空で
台北→成田。明日の朝、日本へ帰国する。
大極さん親子は、1週間フエに滞在し、
各種医療施設・「子どもの家」・ベトナム事務所
スタッフなどに鍼灸治療をしてくれた。
感謝。無事の帰国を祈る。

大極さん親子の案内を担当したハンさん



日本料理店の子どもたちと

帯広の芳村さんが作っている「暖炉寄金」で10数年間
の支援を受けているA君。
生まれつき、手を足の指の発育が悪く、不自由している
が、明るい前向きな性格で高校へ通っている。
現在、コンピュータの勉強もしている。
将来、コンピュータ関係の仕事をしたいと言っている。



日本料理店の子どもたちが、「牛丼」「親子丼」「卵丼」
「中華丼」のミニを試作した。



午後5時半から日本人の夕食会



子どもたちと一緒に夕食を摂る



午後6時頃、日本料理店から宿舎へ
帰ろうとした時、日本料理店の前に
「潜んでいた」リー君に捕縛され、強制連行。

いつもの路上居酒屋へ。

途中でブライセンのチュン君(「子どもの家」の
元生徒会長だが、現在は紛れもなく、
リー君の子分と化した。実際は、生徒会長
の頃、リー君も「子どもの家」にいた。
その頃から事実上生徒会長をその傘下に
おさめていた影の実力者であるリー君だ)
リー君の呼び出しを受ける。


チュン君もブライセンに入社し、きちんとした
給料をもらい、文字とおり「」自立」した。
JASSの自立をめざす取り組みのひとつの
成果ではる。
もう一人のお兄さん、影の実力者は
25歳。なかなか自立が難しい。
何とか「安定した仕事」をみつけたい。
現在、リー君は人生の岐路にある。
警察前のおかれたオートバイの警備
をしているが、収入が安定しない。
テト正月中は約1ヶ月収入がなかった。
そして、仕事をしていた警察分署が
移転する。リー君の仕事場は風前の灯。

リー君は一念発起「ラオス」で一儲けと
考えている。
この間、リー君と飲みながら、何とか
「ラオス行き」を止めさせることに全力を入れてきた。
ラオスでの仕事を覚えると、リー君は、もっとお金に
なる仕事をするようになるのは必定。
ラオスは「麻薬の三角地帯」。
ラオスから地理的には、フエが一番近い。
当然と言っては何だが、リー君は必ず
「麻薬運搬人」に手を染める。
ベトナムでは、ヘロイン200グラムで死刑である。

今、リー君は生活が安定していない。
彼女がいる。いつものことで、フーテンのりーさんに
なるのは必定なのだが・・・・・。

リー君は彼女との結婚も考え、お金がないと
ベトナムの女性は結婚しないという神話を
自分の経験から導いている。
そのため「ラオスでの一儲け」論となるが、
その一儲けが、麻薬運搬人への入り口なのである。
何とかラオス行きを阻止し、正業をみつけてやりたい
と思いながら、氷入りのフダビールを飲むのであった。


午後9時半、リー君の酔っ払い運転
で宿舎まで送ってもらう。

投稿者 koyama : 2013年03月27日 10:14

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