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2013年02月25日

フエ市人民委員会訪日団帰国

午前5時起床。

関空付近のホテルで荷物の整理。

午前7時半、ホテルフロント集合。ホテルのバスで
関空へ。

ベトナム航空のチェックインカウンターは、かなり
混んでいた。

チェックインの手続きを終え、帰国の途に。


一人だけ関空→ハノイ、残りのフエ人は関空→ ホーチミン市

午前9時過ぎ、飛行場ゲートへ。

フエから帰国まで11日間の日本ツアーだった。
東京では「JASS現地報告会」参加。
IT企業ブライセン本社訪問。晩餐交流会

静岡では田辺市長表敬訪問。夜は、小島前市長と懇親会。
静岡市内のIT企業「富士データーシステム」視察。

京都では京都大学の招待で国際関係担当者や環境保全
関係の部長・担当の先生方と懇談。

京都市・フエ市パートナーシティー協定書調印式。
その後調印を祝ってのレセプション。

京都市の計らいで「天竜寺」「竜安寺」の特別拝観

その後、、3日間にわたり沖縄訪問。
沖縄訪問は、フエ市人民委員会代表団の皆さん
全員(バオミンさんを除く)が、1960年代、1970年代
の「アメリカのベトナム侵略戦争」に反対し、ベトナム共産党員
として、地下活動や中部ジャングル地帯での武装抵抗闘争を
行っている。
フエ市人民委員会訪日団の皆さんの強い希望で
ベトナム戦争中の米軍の発進基地だった沖縄を視察したい
との希望から実現した。
同時にアジア・太平洋戦争中の「沖縄戦」の実態を
知りたいとの希望もあり、「がま」視察も行った。
沖縄では、松田先生や新川さんに大変お世話になった。

以上の活動を基本に11日間という長期の日本訪問、
交流を行った。

最終日の関空付近での焼き肉食べ放題店での「訪日
総括会議」では、皆さん「訪日した意味は大きい」「日本と
フエの一層の提携が促進された」「日本人は皆さん
親切で日本滞在は楽しく、思い出深いものになった」
などとの意見があった。

フエ市側の引率責任者のバオミンさんは、相当の
疲労を抱えて帰国した。バオミンさん、お疲れ様。

JASS代表の私はフエ市人民委員会の正式職制である
「越日交流委員会副委員長」。
バオミンJASSベトナム運営委員長は、フエ市人民委員会の
上級スタッフという役職についている。

JASS会則第1条にもあるように「日越友好・交流」の
ためのJASSとしての大きな仕事を果たしたと自負している
所である。
同時に東京ー静岡-京都ー沖縄とJASS各地の会や
関係者のご協力がなければ今回の訪日は成功しなかった。
全ての関係者の皆様方に心から感謝したい。
フエ市人民委員会・フエ市共産党との友好提携は
直接的に「子どもの家」の子どもたち支援につながる
ものであり、最近言われている「ロビーイング」
「ロビー活動」の典型的なものでもある。


午前9時過ぎ、フエ市人民委員会訪日団を関空で見送り、
私の業務を終了。

午後1時から始まる「都立S高校クラス会のような会の分派
会議」参加のため急いで帰京。

関空(はるか)→新大阪(新幹線)→東京→上野
4時間弱で上野へ。


上野の海産物専門店で「分派会議」を開催。

主な議題は、ラオスでの「ラム酒生産販売促進」を
どうすすめるか?

3時間程「ラム酒販売促進会議」を開催。

その後、引き続き「大統領」でそれぞれの身体的な
老化の現状の発表会を行う。彼らと付き合って50年に
なる。16歳の若者も65歳。長い付き合いではあるが、
50年間たった今でも「仲良く」付き合える仲間が
いることに誇りを感じる。
前期高齢者になった今でも私はベトナム、二人はラオス、
一人は作家、一人は東大で活動・仕事をしている。

我が分派会議の最後は上野アメ横の「大統領」で〆められる。


心地よい酔いの中で帰宅。11日間のフエ市人民委員会訪日団
の案内の疲れも吹っ飛んでしまった、とはならなかったが、
精神的な緊張を解きほぐしてもらった「分派会議」であった。
高校同級生に感謝したい。

投稿者 koyama : 2013年02月25日 06:14

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