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2012年07月18日

ベトナム事務所会計打ち合わせ:内田さん・ソンーメン家族と夕食会

午前5時起床 

朝から非常に蒸し暑い。

午前7時朝食。
チャオ・バイン・カイン(小麦粉のうどん) 唐辛子が強く非常に辛い。


部屋の整理。仕事の整理。

午前9時半。ベトナム事務所へ。日本滞在中に各地の会などを
訪問したが、その際、直接もらったり、銀行振り込みで頂いた
里親基金・「子どもの家」・ベトナム事務所への寄付金などを
バオミンさん・ハンさんに渡す。

同時に現在のベトナム事務所の財政状況の概略報告を聞く。
3人で現在の「子どもの家」・ベトナム事務所の財政問題に
ついて、突っ込んで討論する。

ブライセン日本語学校では、古賀先生が教育中。


午前11時半昼食。野菜サラダ、魚の油炒め、野菜スープ、ご飯


午後12時半から2時間ほど昼寝。
今回は日本から40キロほどの荷物を持ってきた。結構、筋肉に
きている。体中(特に腕の筋肉が痛い)。
ゆっくりと休む。

その後、受信メールへの返信・・・・・。

午後6時過ぎ、徒歩で日本料理店へ。

内田さん・ソン君・メンさん・バオ君(1歳)と日本料理店で食事。

ソン君もメンさんも10年以上、「子どもの家」で生活をし、
大学を卒業。現在、ソン君はJASSベトナム事務所員、
メンさんはフエ市人民委員会外務部員。1歳のバオ君も元気に
生活している。
JASSのj海外支援の基本理念である「子どもたちの自立」には、
時間と手間隙がかかる。ミエミエの」「海外支援」のような派手な
活動は出来ないが、子どもたちに寄り添い、常に子どもたちの
心の痛み、苦しみを共感しながら20年間活動してきた。
こうしたJASSの皆さんの努力の結果が、今日の夕食会と理解している。
こうして、小学校・中学校から育ててきた子どもたちが、自立し、父親・
母親になり、その子供と一緒に食事をするというような事を体験
出来るとは、夢にも思っていなかった。

ソン君と息子のバオ君(1歳)



お母さんのメンさんと息子



お父さんのソン君は8人兄弟でお父さんが亡くなり、「子どもの家」へ
お母さんのメンさんは、御両親が農民だったが、船の事故で
亡くなり、「子どもの家」へ。



お母さんのメンさんの里親を10数年している内田さん。
2年か3年で「自立した」として他国に移る海外支援が
主流の我が国である。20年も「だらだらと支援を続けている」との
JASSへの批判もある。しかし、一時の支援で移り変わる
海外支援に疑義を感ずる。内田さんのように10数年間
続けての支援があったからこそ、今日、ソン・メンの子供と
会うことができたのである。



滋賀県大津市の中学生の自殺問題の経過を見ていると、
教育委員会も校長も「無様な醜態」をさらしている。
出世主義者の実態を露呈している。私は子どもたちや人間の尊厳を
捨ててしまった一部教員の実態の中で23年間教員をしていた。
大津市教育委員会の体質は日本中の教育委員委員会の
体質でもある。現場の学校の先生たちの中には、そうした教育委員会
に迎合し「出世」していくと言うのが、今日のほとんどの日本の
学校現場の実態である。出世のためには、子どもたちまでも犠牲に
している教師群をいやなほど見ている。
 教育委員会が本来の役割を果たさなくなった最大の原因は、
教育委員の公選制を止めてしまったことだ。1990年代までは
東京中野区の教育委員は区民の選挙で選び、それを参考に
区長が決定した「教育委員準公選制」が残っていた。
区民の選挙で選べば、市民・区民の常識的な感覚がまだ
生かされる可能性が大きかった。
現在の議会多数の会派が教育委員を
選べば、当然、大勢順応な「大過なく過ごしたい」人間が教育委員に
なってしまう。
大津市の自殺した中学校が文部省の「道徳教育の指定校」だという
ことが、今回の事件の全ての問題を象徴している。
文部省・教育委員会主催の「研究」なるものが、
いかに「イカサマ」かは、大津市の中学校の実態・経過を見れば
判ると言うものである。

学校は、一人一人の子供たちのために必要なら文部省とも
教育委員会とも「闘う」勇気をもった人間がいなければ、
成り立たない。最近、こうした教員が激減していることは
残念である。
学校は、子どもたちを「生きるように教育」する場であり、
どんな子供たちも「生きる権利」があり、幸せな人生を
歩む資格があると言うことを教師・学校が自分の人生を
賭けて実践しなければならない。自分の出世のためには
平気で嘘をつくような人間が闊歩している現在の教育の
世界には、吐き気を模様す。そうした中で、良心的に
頑張っている教職員に敬意を表しい。


午後6時半、内田さん、ソン君、メンさん、長男のバオ君と
日本料理店で会食。

午後9時過ぎ散会。

宿舎への帰途、例の幼稚園の前の路上で「リー君」と
ブライセンのホア君(在宅支援だった)が、二人で飲んで
いる。

お付き合いをする。リー君は相変わらず「政治」に精通している。
「先生、中国の侵略主義的な現状をどう思いますか?」との
質問。中国の前に自分の不安定・その日暮らしの生活をこそ
改善すべきなのだ、などと思ってしまう。

現在、警察にくる人のオートバイを「自主的」に警備する
ことで何がしかのお金をもらっている。収入の見通しがなく、
毎日収入が変わると言う非常に不安定な生活である。
リー君の現状の生活に「苦言」を呈した。
リー君との付き合いは長い。19年になる。
リー君が6歳で路上生活をしている時からの付き合いである。

現在のような「その日暮らし」の生活から脱して欲しい。
今後、リー君の生活、人生について、更に寄り添って
行きたいと決意した次第である。

日本の教育委員会や学校のように「屁理屈をこね回し」
結局、子どもたちを救わないという「逃げ」を決め込むような
ことは」あってはならない。

宿舎着 午後11時。
その後、若干、飲酒の復習。與芝君からもらった
「ラム酒+ウイスキーチップ酒」を本当に軽く「仕上げ」に
復習酒として飲む。おいしい。
グラスに氷を入れ「お酒」を注ぐ。なんとも言えない香りと味。

午前0時、就寝。

投稿者 koyama : 2012年07月18日 19:48

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