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2011年12月05日

バオミンさんと懇談

終日雨 寒い

朝起きられなかった。午前6時半起床。

体調は少し回復基調にはあるが、以前に比べると回復の
テンポが遅い。気力と体のだるさ、食欲減退は回復せず。
無理をしないで少しずつ仕事をしながら回復を期す。
空いている時間は「横になって」いる。

午前7時朝食。ブンボー・フエ(牛肉と米麺)

いくつかのメールの受信・送信。

午前9時。雨の中徒歩でベトナム事務所へ。
2週間ぶりにバオミンさんに会う。

ポルトガルでの会議の様子や生活を聞く。

当面するいくつかの問題について協議・打ち合わせ。

午前11時過ぎまで話し合う。

午前11時半、昼食。

「マカロニスープ」

午後12時から2時間昼寝。

メール送受信。

午後4時、徒歩でベトナム事務所へ。

日本料理店の件でグエットさんと懇談

続いて日本料理店副店長のトゥオイさんと懇談

午後5時半。日本料理店・日本人の夕食。

古賀先生は日本語学校授業で遅れる。

ベトナム事務所・日本料理店での打ち合わせを終わり、
宿舎へ帰る。

途中の路上で「リー君」とブライセンの「ホアさん」が
雨の中飲んでいた。リー君が私に気づき「先生・先生」と
声をかけ、私もリー君に気づく。

「先生も一緒に飲もう」と誘われるが、断る。

「元気にやってるの?」と聞く。
「何とかやっている」とのこと。

雨季に入っているが「オートバイ警備の収入は?」
「まあまあ。先生、飲みましょう」と再度誘われるが、断る。

私は「根無し草」の今のオートバイ警備の仕事を認めていない。
もっと収入が安定し、一生できる仕事に就くべきなのだ、との
思いが強い。私が適当に妥協し、「頑張って仕事をしなさい」
といえば、今のリー君には喜ばれるかも知れないが、
この世の中で誰か一人でもいいから本当に「リー君の人生を
考えている人間がいること」も必要である。
私はリー君の今の生き方には、絶対に妥協しない。
「その日暮らしの根無し草」の生き方を変えるべきだ。収入は
少なくても、一生自分の人生を打ち込んでも良い仕事を
見つけて欲しいものである。リー君に妥協、迎合することは
簡単であるが、リー君の長い人生を考えたら、今の生き方は
根無し草。
ブライセンのホア君がリー君と知り合いだったのを初めて知った。
リー君の幸せな長い人生を期待している。


午後8時過ぎ、バンベー40号の最終校正を完了。


元都労連副委員長、東京都学校生協理事長の鹿山秀佳氏が
亡くなられた。私が30代に一番お世話になった仲人の平野皓二氏
が亡くなられ、今回、鹿山秀佳氏が亡くなられた。
鹿山氏の葬儀は本日。次男を通して「生花」を送った。
詳細は言えないが、わたしが30代から40代で一番人生の
困難・挫折した時、鹿山氏は、何度も私のところへ来て、
話し合ってくれた。平野氏と鹿山氏は、私の人生の恩人である。
急逝されたことに衝撃を受け、通夜・葬儀に参加できなかったことを
申し訳なく思っている。
鹿山氏の逝去を教えて頂いた星野理一氏に心からお礼を
申し上げたい。星野氏から鹿山氏の急逝の連絡がなければ
私は人間としての大事なお礼の機会を失っていたのだ。
改めて星野理一氏にお礼を申し上げたい。
鹿山秀佳氏の急逝に心からお悔やみを申し上げる。


投稿者 koyama : 2011年12月05日 17:30

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