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2011年07月23日

「子どもの家」バーベキュー大会

真夏・暑い

午前5時起床

午前6時45分、徒歩で「カメリアホテル」へ。
内田さん、Oさん、原田先生、富岡先生、ソン君と一緒に
カメリアホテルの朝食バイキングを堪能する。


午前9時、バオミンさんがカメリアホテルへ迎えに来てくれる。

バオミンさんのオートバイで「子どもの家」へ。

2つの家族が「子どもの家」のこどもの退所を希望している。

親からの手紙を読むと「退所」についての動機が理解出来ない
ものがあったので、今日、親を呼んで何故退所をさせたいの
かを聞く。
私たちの基本的な立場は「こどもたちに取って最善の道」である。
同時に親の気持ちを理解する必要もある。


●一組目の事情

父親がいなく、家庭が貧しい農家。息子を「子どもの家」へ
入所させかなりの期間になる。
息子は、成績優秀でベトナム中部の最優秀高校「コックホック高校」
へ入学。
息子は、心臓弁膜症になる。「子どもの家」の力で手術をし成功。
3週間程度は、出来るだけ無理な運動をしないようにとの
医師の指示。
母親は「子どもの家」に長男がいると心臓の病気で倒れるので
はないかと心配し、退所を希望するとの手紙を送って来た。


セン「子どもの家」運営委員長、バオミンさん、私と母親で
話し合う。

母親の住んでいる地域は、フエ市内から自転車で1時間。
母親は心臓病の知識がなく、心臓の手術をしたということで
息子の心臓がいつでも「止まるのでは?」との思いが強い。
そうしたことを背景にどうしても息子を自分の身近に
置いていないと自分が「不安だ」との気持ちである。

私の意見は、「子どもの家」にいれば、「子どもの家」の医師が
常に息子の病気を見守ることができる。
「子どもの家」の医師の意見では、心臓弁膜症の手術は成功し
3ヶ月間ほど無理な運動をしないようにとの医師からの指示が
あったが、既に3ヶ月が過ぎ、一般的に言えば、「通常の生活」
をしても何ら問題がない。
万が一心臓に問題が出た場合、「子どもの家」にいれば、
専門の医師がいて、専門病院も近くにあり、手当てなども
直ぐにできる。母親の所に帰れば、フエ市内から20キロの
純農村。
心臓の専門病院もなく、真っ当な手当てが出来ない。
「子どもの家」にいた方が長男の心臓の手当てにも良い
との見解。
色々と母親と話し合う。結局、母親は「心臓の病気」ということで
いつ死ぬかということを心配している。母親の気持ちも心情的には
理解できるが、実際的には、子どもを母親の元に帰しては、
却ってこどもには大きな困難が立ちふさがるのだ。
母親の元からフエ市内のコックホック高校へ通うには、自転車で
片道1時間かかる。却って母親の心配することが現実になる
可能性が無きにしも非ず。
この点を指摘すると「自分が毎日高校まで送り迎えする」とのこと。
その後大学に入った場合、4年間も親がオートバイで大学生を
送り迎えするなど現実的な話ではない。大学に入れば、
定刻登校・定刻下校などできるわけがない。
母親は大学生生活を想像することも出来ない。これも致し方ない
ことである。

いずれにしても母親が今後5年間、毎日オートバイで農村の
田舎から息子とをフエ市内まで送り迎えするという。
小学生なら可能だが・・・・。
農村の生活しかしていない母親の生活体験・知識を考えれば
理解できるところである。


実際には、「子どもの家」にいた方が万が一のことがあった場合にも
手当てがし易いのであるが、母親の気持ちも分かる。
最終的には、母親に諸条件を全て提示し、もう一度、母親に
「考えてもらう」時間を取ってもらうことにした。
今母親は息子の心臓手術という大きな出来事に精神的に動揺
しているのは、事実である。話し合いの最中、泣いてばかりいた。
本当に息子を心配している気持ちは良く理解できる。


二人目の件。

中学2年生の男子。

最近が学校をサボってインターネットカフェーなどで遊んでいる。
学校にセン委員長が呼ばれ注意を受ける。父親に息子の
状況を報告。

父親は、息子が勉強ができなくなったのは、「子どもの家」の
せいだ。「子どもの家」にいては、息子は勉強ができなくなる。
自宅に戻したいとの意見。

私たち(小山、バオミンさん、セン委員長)は、長男が学校へ
行かないのは、勉強についていけないという根本的な
問題がある。「子どもの家」に問題があるという訳ではない。
「子どもの家」としてはセン委員長が何度も学校に呼ばれ、
話し合いをしている。

父親は、「子どもの家」にいると周りが悪いので自分の
こどもも悪くなる、直ぐに退所させたいとの意見。
父親の家庭はフエ郊外、車で3時間ほどの純農村。
1ヶ月の収入は1000円。家族は母親はいなく、85歳の祖母と
11歳の娘と長女の子ども(父親の孫5歳)で生活している。
一般的に考えて、家族4人で1ヶ月1000円では生活できない。
その上に息子を引き取るという。どう考えても家族5人で
1ヶ月1000円の収入では家族5人の生活は出来ない。
父親は字が書けず、近所の人に書いてもらった。
バオミンさんやセン委員長が質問しても真っ当な答えが
返ってこない。

かなりの時間をかけて話し合ったが、最終的には、「父親に
諸条件を話し、父親に再考」してもらうことにした。


お父さんは時々、「ピント外れ」の発言をしていた。
私見ではあるが、息子を農村の家へ迎える動機は、こどもを
労働力として使いたいという衝動と見た。

引き続き、このお父さんの娘のLさんの件。
高校受験に失敗(フエ市内の一番やさしい高校)。
今後どうするのかをLさんと話し合う。
私とバオミンさんは、日本料理店で働くように話す。
正直、勉強は苦手な子であるが、体を動かしての仕事には能力を
見出せる。
一応、来週、「子どもの家」で1日体験をすることにした。


午前11時半、話し合いを終了。
バオミンさんのオートバイで宿舎へ。

宿舎で2時間ほど昼寝。


午後3時半、「子どもの家」へ。
今日は「子どもの家」で恒例の「バーベキュー大会」

午後3時半から午後5時まで準備。

午後5時からベーベキュー大会が始まる。




「子どもの家」でも古参になったハイ君


内田さんの開会挨拶





























「子どもの家」付属刺繍土産物店のスタッフ


昨日、49日の法要をした故マン氏の席











午後5時過ぎ、バーベキュー大会終了。
その後、ベトナム事務所全員で「家庭料理」店で反省会





午後10時、宿舎着。


投稿者 koyama : 2011年07月23日 23:50

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