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2011年06月19日

終日宿舎で休息・仕事・読書

終日真夏。午後2時半「豪雨」。少し涼しくなる

午前9時半起床  真夏の透き通るような「青空」

午前10時半、かるく「春雨麺」。

受信メールをチェックする。

YAHOOのメールには受信なし。
ベトナム事務所のVNのメールに何通か受信あり。
「YAHOOメールへ送信したが、返送される」とあった。
YAHOOメールをチェックしたら容量100%満杯になっていた。
急いで、古いメールを削除する。それでも95%。
受信・送信可能となる。

YAHOOメールに送信し、返送された方々にはお詫びを申し
上げたい。現在はYAHOOメール送受信可能である。

改めてJASS機関紙「バンベー39号」を熟読する。
ベトナム事務所員、各地の会の皆さん、坂本文子さん、
有ヶ谷さん、山西さんなど多くの人たちのご協力で完成した。
JASS東京を中心にした皆さんが、一人一人の会員の
方々に郵送するという作業をもあった。(6月18日)
地球の歩き方ミニスタディーツアーのお二人には
50部という重たい部数を持ってきてもらった。
多くの皆さんのご協力で完成し、無事、ベトナム事務所まで
100部届いた。
改めてバンベー39号を熟読した。大局的には良くできていると
自分では思っている。もちろん、細かいことを言えば切りがないが。

とにかく時間のない中でバンベー39号の編集会議を
ベトナム事務所員で行い、原稿などを分担。出来るだけ
ベトナム事務所員は全員が何らかの形で作成に参加するような
態勢を作った。今回は「東日本大震災」があったので、急遽、
1ページ・2ページを「大震災支援特集」に切り替えた。
「子どもの家」に今、どんなこどもたちがいるのか、何を考えている
のかが分かる「子どもの家」全員写真も企画してみた。
今後お手元に届く「バンベー39号」について、ご意見・ご批判を
お願いしたい。

洗濯。部屋の掃除と片付け。
衣類の整理。

急に豪雨。

読書「無知の涙」(永山則夫著:河出書房新社)

同時期にほぼ同い年の永山青年は貧困から4人の人を
あやめてしまい、東京拘置所で取調べと裁判。

日記風にかかれた本書・永山氏が東京拘置所で
考えたり、記録した日記内容を読みながら、当時、
私は何をしていたのか?を考えさせられた。
既に40年以上前の話であるが、かなり当時の私の思想と
行動が鮮明に蘇ってきている。
死刑を前提に書いている本書には、「真実」の言葉がある。
永山氏は貧困ということで勉強をする環境がなかったが、
本書を読むと東京拘置所に拘留されてから大量の書物を
読んでいる。また、勉強(漢字・・・・)もしていている。
彼の書いた当時の日記や随筆、詩、短歌などは、非凡
である。私も当時そんな思想や心理状態であったなどと
思いながら自らの20歳頃の出来事を反芻した。
1969年・1970年は日本全体が騒然とした時代で
あった。かなり厚い本ではあるが、一読の価値有。

午後6時、久しぶりの「晩酌」。缶ビール2本しか飲めず
自らの体に「憤怒」を感ずる。
昨夜のスタディーツアーのお二人と会食をした際、
私はほとんど食事ができなかった。その前に結婚式に
でたこともあり。こどもたちに頼んで「お土産」にしてもらった。
それらをおつまみに軽くビールを飲む。まずくはない。
ただ、たくさん飲めないのが非常に残念。

毎日新聞の報道によれば、「学力カップ」という名の
全国学力テストが行われ、2万人が受験したそうだ。

『小学4~6年生と中学生を対象とした知的能力の競技会「全国小・中学生学力カップ2011」(毎日新聞社・毎日小学生新聞後援)が19日実施され、全国535会場で2万人以上が受験した。』

私が現場の教員をしているころから「学力」とは何か?を考えていた。
大学の先生がそれぞれの学力論を展開していた。

最近はそうした「学力論」すらなくなり、文部省の全国学力テスト、
予備校の全国テストなどを「すんなりと」学力と通称してしまっている。

今回の福島原発の経過を辿ると「学力とは何か?」が改めて
問われているように思う。

「直ちに人体に影響はない」から始まり、毎日、テレビで
「ほぼ安全」と解説していた東大教授や専門家と称する
人々。
これらの人たちは、多分、上記の「全国学力テスト」など
では、『成績優秀』だったのであろう。

しかし、3月11日の夜には、福島原発がメルトダウンし
大量の高濃度の放射能が放出、拡散されていたことは、
通常の知能がある人間ならわかっていたはずである。
政府は2ヶ月後にやっと「3月11日夜、福島原発は
メルトダウンしていた」と発表した。

以下、地震・津波翌日の3月12日の私の火炎樹日記

『福島原発は東電や政府の発表の域を超えて、
第2回目の水素爆発にいたる。
危機的な状況である。枝野官房長官や御用学者などが
「安全」などと言っている間に庶民は危機的な状況の
中に放置されている。テレビに出ている「原子力専門家」
なる人たちは、福島原発そのものの詳細は知らない。
常に一般論。同時にほとんどが政府の各種委員会の委員などを
歴任した人々。真っ当な解説はしていない。
宮城県の女川原発の放射能感知器の濃度があがっている。
福島原発の放射能漏れが宮城県の女川原発に届いたものと
思われる。福島から100キロにある女川原発である。
20キロ圏からの退避がいかにまやかしかがわかる。
政府とマスコミ、東電のグルになった国民騙しである。
テレビに出ている原発専門家が全て「過小評価」発言をしている
中で、客観的な事実は極深刻な事態になっている。
福島原発2号機の燃料棒が全て露出するに至った。
メルトダウン現象(溶解)に至る可能性が大である。
東電の発表は信用出来ない。何百万人もの命に関係
している東電の「無能な措置」はどれだけの人命に
影響を与えるかを考えると戦慄を感ずる。
東電に電気も原発も任せられない。』


原子力専門家としてテレビや各種委員会の委員になっている
人々の「学力」の質を改めて問い、「学力」とは何かを考える
素材にすべきである。
全国学力テストなどでの成績がイコール「学力」ではない。

3月11日の夜の時点で、普通の原子力を勉強している
人間なら、福島原発は「メルトダウン」の可能性大と
テレビや新聞、マスコミで正々堂々、「高度学力」の保有者
として見解を述べる義務があったのだが、誰一人(正式には
京都大の小出助教など一部の脱原発研究者を除く)
メルトダウンにも触れず、「今の所、大丈夫」などと暢気な
ことを解説していたのである。今、これらの研究者の
「学力」と姿勢を再検証する時期であり、学者・研究者は
何のために世の中に存在するのかを改めて問いたい。

原子力安全委員会委員長の斑目春樹氏が、自己保身のみに
汲々となっていた醜い姿が目に浮かぶ。
自己保身のためには、自分の発言の訂正をしつこく政府に
求めていながら、3月11日から12日間、一切の記者会見を
拒否し、国民に福島原発問題について何ら情報を知らせなかった。
斑目は年間1640万円の給料を原子力安全委員長として
もらっているのである。(月収、136万円)
派遣社員で月収10万円代で何とか最低の生活をしている
多くの若者がいる。月収136万円ももらって、何もしない
斑目氏の腐敗振りには、呆れる。私利私欲、自分だけが
可愛いという『学力』の持ち主と見た。
文部省や予備校などが行っている「学力」の帰結は
斑目現象に帰結する。
個人攻撃をする気はないが、一例として、斑目(まだらめ)氏
(一部では、「デタラメ氏」と言われている)の
「学力」とは、全国学力試験でトップの成績を取ったが、
何か人間として一番大事なものが欠落している「学力」である。
それは、人間として、研究者・学者としての「気骨・勇気」「真実
に対しての謙虚な姿勢」である。原子力村の一員となり
学生時代から「甘い汁」を吸って来た原子力専門家に一番欠けて
いるのは、人間の尊厳に対する態度である。
自分が「失脚しても」学者として「真実に忠実である」という
人間の一番大事な「気骨」と「力」が欠けているのである。

東大や有名私立大学にいかに多くの生徒を入学させるか
に狂奔している文部省や石原ファシストに率いられる
東京都教育委員会に欠けるものは、人間の尊厳に対する
真摯な態度である。
日能研や各種予備校の行っている「全国学力試験」などに
振り回されない『学力』を求めたいものである。
ニセ学力に振り回されない人間でありたいものである。
肩書きや名刺の会社名などで測れない、人間の大事な
尊厳と生き方があることを再認識する必要があると自戒
している今日この頃である。

ついでに言えば、朝日新聞記者が、自らの写真を
警察に提出し、指名手配の写真にしたという。
ジャーナリストの堕落の最たるものである。朝日新聞も
含め、日本のジャーナリズムの腐敗堕落の象徴的な
現象である。
犯人の逃走する際の写真を指名手配に使うよう警察に
提供したという。
ジャーナリズムの本質は、「権力への批判」である。
報道の自由は、吉本の馬鹿番組を延々と報道する
権利ではない。というと吉本フアンには、失礼であるが、
私的には、関西漫才、落語=総称して関西お笑いを
認めていない。(偏見といわれても良いが、私には
どぎつすぎるのだ。もっと、あっさりとした笑いが好きだ)

善意であっても警察権力と結びつき、逃走犯人の写真を
警察に提供して疑問に思わない朝日新聞の堕落には、
言葉が出ない。こんなことをしていたら、いつか(もう間近に)
警察から写真を出せと命令され、新聞社が戦前と同様に
政府と特高警察の手先になる時代がやってくるような
予感がする。ここまで書いて、フダ缶ビール2本。
(正確には朝日新聞は写真提供記者を批判してはいるが
 どのような処分をするのか?・・・)

投稿者 koyama : 2011年06月19日 18:24

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