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2010年10月27日

バンベー38号編集会議

終日曇り雨。湿度高し。
蒸し暑く気分が優れない。


午前5時起床。読書「中原の虹Ⅳ」(浅田次郎)
清朝崩壊。孫文の革命政府樹立も袁世凱が、
実権を奪取。

柔軟体操。以前は、両手を回すことができなかった。
柔軟体操で両手を回したりと体の柔軟さを保持する。
毎日継続することが「鍵」。


午前7時朝食。フォー。生野菜(ミント、もやし、どくだみ・・・)
をたっぷり入れる。

お米のご飯ではないが、栄養学上では、米を食べたことに
なる。


午前8時半。筋トレ。6キロのバーベルで腕、膝などの
強化。高校時代陸上部でバーベル・ダンベルを使っての
筋トレをした経験が意外な時に生きてきた。
まだ、筋肉痛が残る。回数と負荷を徐々に増やしている。

午前9時半、徒歩でベトナム事務所へ。

リー君を呼んで昨夜の日本料理店での出来事を注意。
昨日、リー君は酒を飲んで2時間半も遅刻し、午後5時に
日本料理店に出勤。

呼び出して事情を聞き、注意。リー君の言い訳は、
友達の誕生日だったので、参加した。事前に
日本料理店のヒエウさんに連絡しておいた・・。

私。友達の誕生日パーティーでいちいち仕事を休んで
いては、他の日本料理店のスタッフに迷惑。
更に日本料理店の責任者(バオミンさん・大塚さん)に
きちんと連絡し、許可をもらわなければならない。
ヒエンさん(一番年下)に連絡したなどと言っても
単なる言い訳に過ぎない。
仕事には、責任が伴う。リー君が2時間半遅刻をすれば
接客係りのグエットさんが日本料理店の掃除や準備を
一人でしなければならない。人に迷惑をかけるような
生活の仕方は、良くない。24歳になったのだから、自分だけの
ことを考えずに、日本料理店全体のことをいつも考えて
行動するように。更に、飲酒で勤務は絶対に許さない。

バオミンさんと二人でリー君の勝手な行動を厳しく注意した。
本人も一応は「分かりました・・・」と言ってはいたが、
何度、同じことを繰り返しているのか? トホホ・・・・・。

午前10時過ぎ、バオミンさん・原田先生と「バンベー38号」
の掲載内容について協議。既にバオミンさんが、計画私案を
作っていた。バオミンさんの計画私案に基づき、意見を言う。
今後は、ベトナム人スタッフだけでバンベーの計画・編集・
発行ができるようにしていきたい。

私の方から一つの意見をだす。いままでの形式を
変えて新しい雰囲気の紙面にいたい。具体的な
提案をする。

午前11時半昼食。

ご飯、野菜スープ、サラダ、魚の甘辛煮


食後、1時間半ほど昼寝。今日は気温が低く、湿度が高い。
気分が悪くなるほどの気候。体が疲れる。熟睡。

午後2時半、読書「中原の虹Ⅳ』(浅田次郎著)

大塚さんから電話あり。日本料理店のヒエウさんが
退職したいと言っている、直ぐ日本料理店に来て欲しいとのこと。
急いで徒歩、日本料理店へ。

バオミンさんも入れて、ヒエウさん(18歳)、大塚さん、私で
話し合う。

ヒエウさんは、4歳で「子どもの家」に入所。3年前から
日本料理店に勤務。昨年、「子どもの家」を退所し、母親
と同居。母親は「天秤棒」にガムや駄菓子を載せて町中を
売り歩いている。1日の収入が2万ドン(100円)。

ホーチミン市にいる叔母さん(母親の妹)から、ホーチミン市
の縫製工場に来れば「いい生活が出きるよ」と言われたの
でホーチミン市に行き、「縫製工場」の研修生になる、との
こと。

私、大塚さん、バオミンさんで、「ホーチミン市の縫製工場
の研修生になっても給料は安く、ホーチミン市の物価は
フエの2倍もあり、家賃もフエの2倍。
日本料理店での生活よりもホーチミン市に行けば、苦しく
なる。フエでの日本料理店でコツコツと日本料理を勉強し
しっかりと日本料理を覚えたほうが良い。11月から
給料も上げることになっているのだから、日本料理店
に残るように」と説得する。

私や大塚さん、バオミンさんの考えでは、①ホーチミン市に
行く。ヒエウさんの憧れの大都会。ホーチミン市に行けば
自分の欲望が全て満たされると錯覚する大都会。
②しかし、現実は縫製工場の正社員ではなく、研修生。
ヒエンさんはミシンを使えない。結局、超低級の給料しか
もらえない。③給料が安く、生活出来ないことを知った
ヒエウさんは、「水商売」に転向(100%その可能性あり)
ということで、結局、ヒエウさんのホーチミン市行きは、
ヒエンさんが「身を持ち崩す」最短距離でもあることが分かる。
ヒエウさんは18歳。社会を何も知らない。私、大塚さん
バオミンさんで必至に「社会はそんな甘くない」「ホーチミン市
に行っても結局は手に職もないヒエウさんの将来は切り開けない」
と話す。

1時間程話し、最終的には「分かりました」とのこと。
今回のヒエウさんのホーチミン市行きは、一応断念したことになるが、
いつ、ヒエウさんのホーチミン市行きが再燃するかは分からない。
ベトナム社会の急激な変化。貧富の格差。ホーチミン市や
ハノイなど大都市の繁栄とその影で「豊かさを見てしまった
多くの貧しい人々の苦悩」という、現在のベトナム社会の根本矛盾
を反映した、ヒエウさんとの話し合いであった。
フエも都会。ヒエウさんの周りには親が共産党の幹部や一時成金
のこどもたちがウヨウヨいる。そうしたこどもたちや友達を
見ているヒエウさんに取って、現在の母親との貧しい生活が
我慢ならない気持ちは良く分かる。しかし、そうした気持ちを
自分でコントロールする人間性を持たなければ、急激に
貧富の格差が増大するベトナム社会、特に都会では生きて
いけない。リー君もヒエウさんも自分の生い立ちと置かれている
客観的な事実と存在をしっかりと認識し、「大地に足をついた」
生き方を身につけて欲しいものだ。

私はフエで17年間、こどもたちと付き合っている。
戦争などで避難生活している「緊急支援」の意義は否定しない。
しかし、緊急支援で「命は取りとめた」ものの、その後の長い
人生をどう生きるのか、という大きな問題が残る。
イラク戦争の開始時にイラクに行き、ストリートチルドレンを
助けると言った某女性がいた。2回、私たちの「子どもの家」で
活動した方だ。緊急時にイラクのこどもたちを助けたいという
気持ちに私は共感を持つ。当時の自民党の大臣が、
彼女を非難した。彼女を高く評価したのは、侵略者の
アメリカのブッシュ大統領だったことも皮肉なことではある。
緊急支援はそれなりに重要である。しかし、問題は、
こどもたちはその後も生きて「人生を歩んでいる」という
事実である。極一時(ごくいっとき)、支援をすることも否定
はしないが、結局、私たちが本当にしたいことは、こどもたちに
幸せな人生を送って欲しいということである。人間教育である。
諸般の事情で幸せな人生を歩めないこどもたちに長い時間と
労力をかけて「教育と陶冶」をすることこそ本当のNGO.
海外ボランティアの仕事だと思っている。
今日のリー君ヤヒエウさんとの話・・・・・。

イラク戦争の時に戦場に入り、ストリートチルドレンを支援する
との行動をすれば、それなりに「目立つ」が、その後のこどもたち
の長期的な成長と幸せな人生を考えれば、イラク戦争の時に
イラクに行き、捕まった某女性などは今こそ、イラクに常駐し
ストリートチルドレンなどの長い人生を構築する闘いをすべき
であるなどと考えてしまう。日本で「海外支援の専門家」
などと講演会をしている現状を見てがっかりしている。
本物ではない。

午後5時半、日本料理店でこどもたち・日本語教師との
皆さんと夕食。

外は雨。時々豪雨。

午後6時頃から来客はあり、午後9時過ぎまでに
21人のお客さんとなった。

現在、フエの観光は「OFF」シーズン。隣りの精進料理屋、
前のベトナムレストランなどはほとんど来客なし。

今日はお寿司、太巻き類が多く出た。


来客のほとんどは、欧米系。


ドイツ人、ベルギー人、オランダ人、オーストラリア人、
アイルランド人、タイ人、台湾、フランス人、ベトナム人・・・・。



今日は調理主任のトゥオイさんが休み。調理が2人となり
21人の来客の調理は大変だったが、大塚さん、富岡先生、
原田先生、古竹先生、土井先生の奮闘で何とか、
21人の料理を出すことができた。

今年は、日本料理店の来客が過去最高となっている。

午後9時半、外は豪雨。皆さんしばらく雨が鎮まるのまち
帰る。

投稿者 koyama : 2010年10月27日 18:17

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