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2008年11月23日

休日・誕生日

午前中晴天(太陽が出る)
午後、豪雨。

午前5時起床。
読書「田中清玄自伝」(ちくま文庫)

午前8時前、静岡の滝下さんから国際電話。
バオミンさんと電話で当面の諸問題についての打ち合わせ。

午前9時、フエに来て初めての太陽。
急いで衣類、バッグ、雨合羽、帽子、布団など
かび臭くなっているものを屋上に干す。

部屋の掃除。ベッドの下や部屋の隅などのごみを
綺麗に取る。床を水でふく。

机上などの整理。私の頭の中での活動は、
7月からはじまり、11月22日までの長期間連続の
活動の一塊(ひとかたまり)が昨日終わったとうのが
実感。

約4ヶ月半、朝から夜まで活動が続いた。日曜日も
なかった。部屋の整理、机上の整理などをする時間が
なかったのも事実である。もっと、本来的に整理整頓が
嫌いでもあるのだが・・・・・。

午前中、メールの受信・返信に熱中していたら、雨が降り出して
いた。屋上に干した布団などが濡れてしまった。
この時期、フエの天気の変化が早いのには、辟易している。

午後12時過ぎ、読書「田中清玄自伝」(ちくま文庫)読了
田中清玄と聞いただけで「反共右翼」「戦前の武装共産党時代の
書記長」などというイメージがあり、「清玄自伝」を読んでも意味の
ないものとの先入観があったのは事実だ。古本屋にあり安かった
こと、何事も「色眼鏡」で見ずに、そのものに直接触れてみること
が必要と思い読んでみる。
400ページの本であったが、読後感は、「読む価値はあった」という
ことに尽きる。田中清玄と聞いただけで、彼が何を考え、どんな
人生を送ったかを知らずに「色眼鏡」と「思想的偏見」だけで
人間を見る愚かしさを自分自身でも感じた。と言っても
田中清玄を肯定するものでもないが、一人の人間が、
北海道で生まれ、弘前高校で学生運動を組織し、東大に入り、
同時に新人会、共産党に入党。その後、共産党が弾圧の
中で組織が壊滅し、田中清玄はコミンテルンから国際共産党
日本支部書記長と認定され、活動を進め、検挙。
母親は会津藩家老の家柄。清玄が共産党で活動するのを
知り、何度も脱党を進めるが清玄は聞かない。
とうとう清玄24歳の時、母親は清玄を諌めるために「割腹自殺」
してしまう。
10年間の刑務所暮らしの中で「共産主義との決別宣言」を
行い、禅宗に入門。
1945年、昭和天皇に会い、天皇制の維持、皇室の財産の
放棄、国民に顔を見せるよう進言する。
戦後は反共・反米の思想を鮮明にしながら、「アジア連盟」
設立、世界環境保全、エネルギー資源確保の活動を進める。
湾岸戦争に反対し、日本はアラブ諸国と仲良くし、アメリカの
暴走を諌めるべきだとの立場を取る。中国との付き合いを重視。
アメリカ一国主義を厳しく批判した右翼でもある。
西洋合理主義文明に対する批判を持ち、アジアの文明の
複合的な価値観で西洋合理主義文明を包み込もうとする
行動も行っている。
清玄は彼なりの主張と思想を持ち、それを87歳でなくなるまで
貫徹してことは学ぶべきものがある。会津人の一徹な生き方を
感じた。

今日は私の誕生日。

何人かの方々からお祝いのメールを頂く。
遠くはヒマラヤの奥地を旅行している「京滋YOUの会」の方からの
お祝いのメールもあった。

午後5時、食堂に飲みに行く。

午後7時半帰宅。引き続き、自分で自分の誕生祝いを
行う。上尾方面の方から「誕生祝で飲み過ぎないように」
とのありがたい言葉を頂いたのでほどほどに。
この「程ほど」と言うのが、中々難しい。

読書「やんごとなき姫君の秘め事」(桐生操著:角川文庫)
ヨーロッパの王侯貴族の夜の生活の「学術的研究書」。
ヨーロッパの薀蓄を駆使しての本。
米原万里の「焼き直し」本とも言える。

誕生祝のメールを送って頂いた方々にお礼のメールを
書く。

火炎樹日記を書きながら改めて中島みゆきの
CDを聞いてみた。私が90年代の歌があまり好きに
なれなかった最大の理由は、歌詞に重点をおかず、
リズムばかりが先行する音楽に違和感を感じたからだ。
中島みゆきの素晴らしいところは、「ことば」を大切に
していることだ。
今日は「ファイト」を何度も聞いた。
中島みゆきは、「闘う」「闘い」と言う言葉を何度も使っている。
「誕生」も歌詞が良い。ストリートチルドレンの支援活動の
原点となる歌詞である。「時代」の歌詞も良い。
最後の女神、浅い眠り、ルージュ。ルージュは香港で
リメイクされ1993年にフエに来た頃、ベトナムの若者の
間で大流行していた。ベトナム人は香港の歌だと言い張って
いた。中島みゆきが「ちあきなおみ」に作った歌だったが
ヒットせず、その後、中島みゆき自身が歌い、それを
香港の歌手がリメイクしアジアで大ヒットした。

今年の最大の収穫は中島みゆきの母校である藤女子大で
講演会が出来たことだ。雄武町の菊先生に感謝している。

投稿者 koyama : 2008年11月23日 12:03

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