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2008年11月12日

成田→ハノイ

曇り・時々小雨

今回の帰国は本当に忙しかった。
たまにある1日の休みは考える気力を失っていた。
家で寝ているか、時々、スーパー銭湯にいったりした。

結局、心臓の病院へ行く時間がとれなかった。
担当医師が決まっているのでその曜日にしか行けない。
とうとういけないまま帰国の日になってしまった。
フエ滞在中に薬がなくなってしまう。病院に電話をし
担当医師以外の日に何とか薬だけでももらいたいと
お願い。今日の午前中なら可能とのこと。
午前8時過ぎ、急いで新宿都庁前の病院へ。
しばらく待ち、違う医師と数分懇談をし、40日分の
薬をもらう。
午前11時過ぎ帰宅。ベトナム帰国の準備もできていない。
急いで荷物の整理をし、家を出る。

午後3時のスカイライナーに乗り、午後4時過ぎ成田空港へ。
午後6時過ぎのVN便(JAL機)でハノイへ。5時間半。

機中で読書。

「アイヌ、神々と生きる人々」(藤村久和著:小学館)読了。
1960年代からアイヌ人の古老などにアイヌ人の伝統的な
ものの考え方、生活の仕方などを聞き取った話。
アイヌ人の生活が良くわかる。
けして貧しい生活ではなく、山の中での狩猟をし漁猟をしての
生活は厳しいものではあったが、江戸時代特に明治以降
大量の「和人」が「侵略」してくるまでは、自然を大事にし
自然と共に共生していた事実を知る。
アイヌ人の人生観・自然観はまさに21世紀の人類が
学ぶべき人生観・自然観でもある。
明治32年(1899年)「北海道旧土人保護法」が制定され、
アイヌ人の差別と和人化政策が法制化された。
日清・日露戦争には多くのアイヌ人が徴兵されている。
平成9年(1997年)までアイヌ人の差別を制度化している
「北海道旧土人保護法」が存続していたことに戦慄を覚えた。

くりかえり歴代の首相や政治家が「日本は単一民族」との
差別発言を繰り返していた。やっと今年になって国会で
全会一致で「アイヌ人が日本の先住民族である」ことを
認めたのである。アイヌ人の長い差別の歴史を知り、
私の無知を恥じる。

「自壊する帝国」(佐藤優著:新潮社)を読む。
1991年のそれ崩壊の前からソ連に滞在し、日本大使館員として
ソ連の情報を取得する仕事をしていた佐藤氏。ゴルバチョフ、
エリチンなどの時代である。
なぜ、ソ連が崩壊したのかを糾明している。帝国は外からの
力ではなく、内部の矛盾で崩壊するということを言いたいので
あろう。本当にその国の実情・実態を知るためには、庶民の
暮らし、生活の実態を体験しなければならない。
大使館などに「鎮座ましまして」いるようでは、うわっつらの
情報しか分からない。佐藤氏は、様々な人脈を作っている。
ベトナムと一緒で人脈を作らなければ、実態は分からない。
人脈を作るためには、人間同士の信頼と結びつきがその
基礎となる。

ソ連では親しい知り合いになるためには、ウオッカの
一気飲みを何回もしなかれば、親友にはなれないそうだ。
佐藤氏はウオッカのボトル2から3本位はのめるそうだ。
これは私のベトナムでの体験とも一致する。知り合い、
徹底してのみ会う。ビール、ウイスキー、日本酒などの
お酒をコップ1杯「一気飲み」を繰り返して初めて
友人・仲間になれるのである。これは「良し悪し」の
問題ではない。文化である。

鈴木宗男の子分と言われ、第1審で懲役刑を言い渡されている
鈴木氏である。須々木宗男・田中真紀子の争いの時には
悪の権化「鈴木」の手下として扱われたい佐藤氏ではあるが、
本書を読むと、知性と教養をもち、自説と筋を通して生き方を
している面があることも分かった。半分ほど機内で読む。

機内食を食べる前に缶ビール2本、白ワインを飲む。
しばらくすると気持ちがわるくなる。

午後10時20分、ハノイの「ノイバイ空港」着。
既に日本時間では午前0時を過ぎている。
スーツケースが出てこない。結局1時間ほど待たされる。
空港タクシーで40分ほど。ホテルに着いたのは午後11時半。
日本時間に午前1時半であった。気持ち悪いのと疲れで
そのまま寝てしまう。

明日から大使館、JICAなどを訪問し、静岡大学の事前打ち合わせ、
縫製研修センターの件、日本語学校の問題などを打ち合わせする。

投稿者 koyama : 2008年11月12日 13:43

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