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2007年11月26日

成田→ホーチミン→フエ

晴天

朝、非常に寒い。

午前8時、上野からスカイライナーに乗車。満席。
平日なのにこんなにたくさんの人が海外へいくのだ。
特に60歳代、70歳代と思われる人たちが目立つ。
午前9時過ぎ、成田着。

ベトナム空港チェックインカウンターへ行こうとしたが、
移動していた。第2空港が工事中のため。
空港の一番端(はじ)にベトナム空港チェックインカウンター
は移動していた。

成田→ホーチミン市までの切符を出す。
ホーチミン市からフエまでの切符も付いていたものを
カウンターに出す。ベトナム航空の日本人女性スタッフは
成田→ホーチミン、ホーチミン→フエまでの2枚の
切符を作ってくれる。
また、手荷物も成田からフエまで通しで運ぶ手続きを
してくれた。「へー、ベトナム航空もやっと世界の常識的
なシステムを取り入れたのか?」と感心。
一応、カウンタースタッフに「今までは成田からホーチミン市
までしか切符は切れなかったのですが、今回はシステムが
変わってフエまで切符も作れるし、荷物も送れるようになった
のですか?」と聞いてみる。
カウンタースタッフは、「え、そうですか?」
と意外な反応。「あれ?、この人、ボーディングパスの
発券の仕方をしらないのか? 新しくシステムが変わった
のではないのかな?」と不信に思う。
カウンタースタッフは、おもむろにどこかへ電話。
上司のようだ。「成田からホーチミン市経由で
フエまで荷物は送れないのですか?・・・・・・」
電話が終わるまでしばらく待たされる。
「すみません。ボーディングパスと荷物は
成田からホーチミン市までしかできません」とのこと。
カウンタースタッフが、こんな状態では、トホホ・・・・。
情けない。基礎的な知識もないスタッフをベトナム航空は
カウンターに日本人スタッフとして配置しているという
ことになる。偽装が問題なっている日本ではあるが、
これも偽装航空となるのか?
乗機率を聞く。50%とのこと。席を一番後ろにして
もらう。

出国審査はかなり厳しくなっていた。手荷物から
パソコンは別にするよう言われる。
更に「塩」が引っかかる。支援者の方から特別な
塩をいくつか送って頂いた。日本酒とこれらの塩で
一杯などと思っていたのだが・・・・・・。幸い、
取り上げまではなかった。ひと安心。

午前10時半、出発。後ろの方にはお客がいない。
ほかにお客がいない席1列に座る。

読書「田辺源氏(下)」読了。
源氏が出家する時点で話は終わる。
宇治十帖は割愛。

缶ビール1杯、白ワインを飲む。3つの座席を使って
しばらく寝る。
約6時間でホーチミン市へ到着。午後4時半。
(ベトナム時間午後2時半)(。
入国手続きは簡単。税関も簡単に終わる。いつもは
半券を取る入国書類も全部もらう。いいのだろうか?
ホーチミン空港(タン・ソン・ニャット空港)は、新しい
国際線が数ヶ月前に出来た。しかし、もう国際線の
入り口のタイルが壊れ、工事中。なんということか?

国際線から国内線までかなり歩く。
国内線には午後3時半入場。午後6時40分発の
飛行機に乗る予定。約3時間、国内線の待合室で
待つ。そのうち、フエ行きは15分遅延との表示が出る。
午後7時、ホーチミン空港を出る。
3時間半の待ち時間中、読書。
「与謝野晶子源氏」3巻の(上)を読み始める。
この与謝野現代語訳は明治末年から翻訳を始めたものだという。
本書の出版は昭和13年。
第1ページの1行目の冒頭から「伏字」。
伏字とは軍国主義時代の日本には、強烈な「検閲」が
あった。(××)の二字でで表示されるもの。
伏字は「天皇」ということばだった。
昭和13年。源氏物語が天皇の物語ということは、
「許されざる」ことだったのだ。軍国主義、極端な
国粋主義・右翼路線がいかに異常で非常識かは
この一例をとっても理解できる。愛国心を強調する
する軍国主義・国粋主義者が、世界に誇れる
わが国の最初の長編文学である源氏物語を
評価することが出来ないところから、天皇の
関係した本との翻訳するらでなかったのである。
与謝野源氏は、源氏物語54帖の巻にあわせて記述
されている。私には、読みやすい。既に瀬戸内源氏と
田辺源氏を読んでいるので、「意訳」のような部分も
あるがおよその理解は出来るようになった。

午後8時過ぎ、フエ空港へ到着。約100人ほどの乗客の
ほとんどは、フランス人の団体客だった。日本人は私一人。

私の荷物は最後に出てきた。タクシーで日本料理店へ。
午後8時45分頃、心配だったので日本料理店へ直行。
今日は4人のお客があったそうだ。
日本料理店の子どもたちや日本人スタッフはみんな元気
だった。

●早速、日本料理店最大の名物(個人的な見解)「生ビール」
 を飲む。


税田さん・仁枝さん・後藤さん・リー副店長と軽く飲む。

子どもたちは、何種類かの料理を作り、午後9時過ぎ
日本料理店を閉めて「子どもの家」へ帰る。

結局午後11時近くまで話し合う。最近はリー君も落ち着いて
仕事をしていると自分で言っていた。

午後11時過ぎ、トンチンカンホテルの自室へ。
室内は「カビ」の異臭が漂う。特にベッドの
シーツと毛布のカバーがカビの異臭まみれ。
困ったものだ。私の留守中、部屋の換気を
していなかったようだ。一応、不在中も毎月
300ドルもの家賃は支払っているのだが・・・。

仕方がないので、シーツ、カバー、タオルなど
を洗濯機にかける。明日の朝には、洗濯されて
いるだろう・・・・。
くさい部屋で我慢して、眠る。

今日は、朝5時に起床し、午前2時まで21時間
起きていたことになる。さすがに疲れる。

日本滞在中、お世話になった皆様に心から
感謝いたい。無事、日本での活動を終え、
フエに戻ることが出来た。これからは、フエで
様々な問題の解決に当たる予定。

投稿者 koyama : 2007年11月26日 19:10

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