« 久しぶりの休日 | メイン | 高校クラス会 »

2006年07月13日

通院

曇り、時々真夏の太陽

今日はフエの日常と同じ湿気と暑さ。
私にはやっとフエに「帰れた」と思えるような気候。

朝7時過ぎに自宅を出て新宿へ。通院。
心電図等の定期健診。投薬を受ける。

人間の命とははかないものである。
米原万理が急逝し、辺見庸が脳出血・癌にかかり、
今日は忌野清志郎が喉頭がんであることを明らかにした。
辺見庸が62歳位だろうか? あとの二人は50代。
辺見庸も言っているが、ただ、だらだらと長生きはしたくない。
何のために生きるのか?
出来る限りの努力(禁煙・暴飲暴食防止・定期健診・・・)はしたい。
今ある健康と「元気」が明日あるとは限らない。

NSビル内の大型書店で何冊かの本を買う。

昼過ぎ全て終了。新宿西口の通りを歩く。
真夏のような太陽が顔を出す。

午後山西さんから電話。
夕方、法政大学からスタディーツアーの連絡あり。

12通のメール受信あり。必要な返信を書く。

夕方、太巻きが食べたくなり作る。
納豆まき、人参、きゅうり、卵焼き、ハムを入れた太巻き。
太巻きの真ん中に具が入るように作るのは中々難しい。
具に野菜をたくさん入れるようにしたい。
何度か作っているうちに多少はうまくなったような気がする。
海苔を簡単に焼いて作ると太巻きに香りが出てくる。
酢飯を食べると心が落ち着くのは何故なのか?

先日、上野のアメ横に行き、「奥の松」(あだたら吟醸)
(奥の松酒造:0243-22-2153)を買って来た。
軽く冷やして飲む。淡白な甘い独特の香り。嫌味のない
品のよい香りと味がする。



日本へ戻って1ヶ月半。何となく国中がキナ臭い。
北朝鮮のミサイル発射を契機に「敵にミサイルを打ち込まれる
ことが分かっているなら、先制的に日本から敵国を
攻撃する権利がある」ような発言が出てきたのには驚いた。
防衛庁長官、内閣官房長官、政権与党の幹事長などが
声高に叫んでいる。
戦前の「鬼畜米英」を呼号し、実際の国際情勢を全く理解して
いなかった過去を思い出す。
私は声高に言う人間は本能的に嫌悪を覚える。
いつから日本は「敵国に攻撃をしかける」ことが出来るように
なったのか?
こんなめちゃくちゃな発言をマスコミも世論も批判しない
わが日本ではある。

国連の安保理事会に制裁決議案を提案している日本。
親分のアメリカと一緒だから決議案は通ると踏んでいた。
しかし、ここのところへきて「雲行きが怪しく」なってきた。
中国・ロシアに続いて、フランスもイギリスもトーンダウン
してきた。とうとう親分のアメリカまで安保理決議にこだわらず、
などと言ったトーンになってきている。我が日本だけが、
こぶしを振り上げたは良いが、誰もついてこないという
無様な状況に陥りそうである。

外交とは難しいものである。我が日本だけが一人孤立したのは
今回だけではない。前回の日本の安保理常任理事国入り問題
の際もそうであった。大金を使い、多くの国々へ工作をし、
親分のアメリカのお許しも得て、安保理常任理事国いりに
自信をのぞかせていたが、ふたを開けると、親分のアメリカにも
「反対」されるしまつ。アジアで日本の安保理常任理事国入りに
賛成したのはたった2カ国という惨敗を喫した。

日本の外交は単細胞のように思えてならない。
人間と人間の複雑なつながりである。自分が思っていたことを
外国がそう思っているかどうかは、また別の話である。
私がフエに13年間住んで活動しても「日本の常識はベトナム
では通じない」などということは良くあることである。
時間をかけて、人脈をつくり、5年、10年先を読んで「今」を
行動するという姿勢が必要だと思うのだが、日本の外交は
「お金を上げる」ことが本質であるかの様な金銭ばら撒き
外交である。
現在、小泉首相が中東のイスラエルとパレスチナに行っているが
案の定、お金をばら撒くだけの外交。たまに行って、「共存共栄を」
などとお説教を垂れても政治的な影響力にはならない。

今回の北朝鮮制裁決議問題も、安保理常任理事国問題も
日ごろのお付き合いをしっかりとするという外交のいろはを
してこなかった日本の外交の付けであるような気がしてならない。
私たちのような小さな海外ボランティア団体ですら、地元フエでは
様々な政治状況を把握し、必要な関係者と常日頃からつながりを
もったり、「持ちつもたれつ」「お互い様」の関係を構築することに
一番力を入れているのである。そうした努力がなければ、
共産党一党独裁国家で13年間も活動は出来なのである。
日ごろの目に見えない努力の積み重ねが、外交である。

日ごろの努力をしないで「強硬論」をぶったり、声高に
叫んでも国際的には相手にされない。

靖国問題一つ解決できない連中に外交は出来ないと思う。
小泉首相の「意固地な」姿勢を、次期首相候補と目される
連中の誰一人、諫言できないでいる。小泉首相に諫言する
勇気がない人間が、外に向かっては大声で叫んでいるように
思えてならない。次期首相の最有力候補と目される人物など
「内弁慶」の典型のように思えるのだが。

投稿者 koyama : 2006年07月13日 18:17

コメント