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2006年07月08日
茨城「火炎樹の会」講演会(勝田市)
終日曇り
昨夜はベトナム事務所との連絡、札幌滞在中に受信した
メールへの返事、講演会ビデオ編集などの仕事があり
午前1時過ぎまで仕事をした。その後、中々眠れず、朝5時半
起床。その後、受信したいくつかの問題についてのメールに
返事をだす。手紙を2通書く。
午前9時自宅を出て、巣鴨経由上野へ。
フレッシュひたちで茨城県の「勝田」へ。
午後12時に勝田駅着。勝田は土浦の近くと思っていたが
車内放送で水戸の更に先と知る。ということは、今日の会場は
勝田ではなく違う場所か? 車内で「又、会場を間違えたか?」と
思いつつ、勝田駅改札へ。思った通り待ち合わせの時間に誰も
いない。慌てて関係者に問い合わせようと電話を調べるが
電話番号が分からない。福田もえ子さんのお父さんの電話が
分かったので失礼ではあったが、電話する。関係者に問い合わ
せをしたもらった結果、やはり勝田駅で良かった。
電話中に松下さんが改札口まで迎えに来てくれた。一安心。
火炎樹の会代表の森嶋さんの運転で昼食。地元の海で採れた
魚介類を握る回転寿司へ。
午後1時、会場の「ひたちなか市青少年センター」へ。
会場入り口で後藤弁護士ご家族とお会いする。後藤弁護士は
火炎樹の会の創始者。
10年ほど前に偶然日本語の看板を見つけてベトナム事務所を
訪問。その後、水戸弁護士会を中心に「子どもの家」の支援を
続ける。後藤弁護士とは別に7年ほど前に茨城県主催の
「青年の翼」事業で相馬団長を中心に多くの茨城県の
若者が「子どもの家」を訪問し、子どもたちと交流を行った。
後藤弁護士は自宅を『ベトナムの「子どもの家」を支える茨城の会』
として支援活動を継続していたが、青年の翼の若者との合体を
発意。後藤弁護士の呼びかけで茨城県の若者と後藤弁護士が
合流。火炎樹の会発足に至る。
後藤弁護士と言う一人の人間の思い入れと忍耐強い努力が
10年を経てこのような大きな会となって結実したように
思う。現在も後藤弁護士は火炎樹の会の顧問的存在として
色々な相談などに乗ってくれている。現在は日本弁護士会
の「法教育」の責任者の一人として、学校教育の中に
法教育を位置づける活動を進めている。文部省の
中央教育審議会の専門部会の委員として、教育課程の
中に法教育を位置づけさせる活動を進めている。
午後1時40分、火炎樹の会主催の講演会が始まる。
はじめに森嶋博代表の挨拶。
現在のJASSの到達点と今後の展望についての概略を
的確にまとめて説明してくれる。
その後、1時間半ほど最新のビデオなどを使いながら
「子どもの家」13年間の歴史、到達点、自立に向けての
諸活動などを話す。
続いて2年間ベトナム事務所で活動した松下安希子さんが
「フエでの2年間の経験」と題して現地報告を行った。
「子どもの家」日本語クラスでの教師の仕事の大変さ、
静岡会館日本語学校での日本語教育、子どもたちのことなど
をコンパクトにまとめて参加者に分かりやすく報告する。
小山・松下さんの報告後、会場参加者から質疑・意見表明。
午後4時半、火炎樹の会講演会終了。40人の方々の参加。
講演会終了後、講演会にお越しになった隣りの市の市議会議員
の方と懇談。地域でのボランティア活動を進めたいとのこと。
火炎樹の会員の紹介で参加した保育園・養護施設の方と懇談。
更に商店街を使ってフリーマケットをされている地元ボランティア
団体の関係者3人と懇談。毎年、フリーマーケットを主催して
集まる寄金の寄贈先を探しているとのこと。JASS活動を
報道したテレビ番組5本ほどを収録したCDを手渡し、
寄金の要請を行う。
講演会後、参加者と勝田駅近くで交流会。
交流会の席上、火炎樹の会から18100円の寄金を頂く。
午後7時40分位まで交流会を行う。
午後8時20分勝田発のスーパーひたちで上野へ。
自宅着午後10時40分。
メール12通受信。返事を書く。
火炎樹の会10年。継続の力と皆さんの努力に敬服。
投稿者 koyama : 2006年07月08日 08:37