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2006年05月06日
「子どもの家」入所希望者の家庭訪問
晴天。快晴・高温多湿。非常に蒸し暑い。
ベトナム事務所まで徒歩。外はまぶしく目を開けられないくらい。
午前8時、ベトナム事務所員会議。
日本語学校教師の松下先生が6月15日頃を区切りに
帰国することとなった。ベトナム事務所員に知らせ、
松下先生のご苦労を皆さんで感謝。
8時半、「子どもの家」入所希望者の家庭調査へ出発。
小山・ミン・ロック・税田・石岡の5人。
今日は3家族、4人の入所希望の家庭調査の予定。
最初にTY君(5歳)の家へ。ベトナム事務所から
車で20分。国道1号線を南下。フエ空港途中から左折し、
農村地帯へ。フーロク郡の純農村地域へ。
TY君の家へ到着。一見して生活の困難さを感じる。
TY君一家は母親(30歳)と弟(3歳)、祖母(60歳)の4人家族。
お父さんはいない。母親は土地をもっていないため、土地を
持っている農家の農作業の手伝いを日雇いでしながら、細々と
生活している。1日の日雇い農作業代は15000ドン。(100円)。
月収は不安定。平均して2000円程度。家族4人での生活は
無理である。4人家族で最低1万円程度は必要。
日本料理店の子どもたちの研修手当ですら30万ドン(2000円)、
18歳以上は50万ドン(3500円)。
母親に何故子ども(長男5歳)を「子どもの家」に入れたいのかを
聞く。「学校へ行かせたい」とのこと。
諸般の事情で母親は学校へ行っていない。読み書きが
出来ない。せめて子どもは学校へ行かせたいとのこと。
TY君に「子どもの家に入る?」と意思を確認。多少躊躇して
いたが「うん」と答える。生まれてから5年。祖母・母と暮らし、
外の世界をほとんど知らないTY君にとっては、フエ市内の
「子どもの家」への入所は「清水の舞台から飛び降りる」
程の度胸が必要。5歳での入所は可愛そうと思いながらも
このまま祖母・母・弟とここで過ごしていれば、確実に
学校へは行けないまま生涯を送ることになる。
TY君に勉学の機会を与え、努力するスタートラインに
立たせてやることが大人の仕事と考え、入所を勧める。
ミンさん、ロックさんと話し、TY君の入所を確認。
TY君には戸籍がない。ロックさんが母親に戸籍の作り方を教える。
戸籍がないと学校へ行けない。
「お母さんはどこで子どもの家を知りましたか?」と聞いてみる。
フエ市内に住んでいる親戚から聞いたことのこと。
TY君家族4人は、一度もフエ市内に行った事がないとのことだった。
TY君の家族と別れ、再度フエ市内を通過し、市内のはずれの墓地に
住んでいるPHUONGさん(11歳)、QUON君(10歳)姉弟の家へ。
TY君の家から40分ほど。ビニールシートに覆われた家へ到着。
家はお墓の中に不法に建築されていたい。
PHUONGさん(11歳)・QUAN君(10歳)。
シクロ運転手だった父親は2003年病死。母親は39歳で
ノン(ベトナム菅笠)を作っている。次男(3歳)とあわせて
家族は4人。母親のノン菅笠作りの月収入40万ドン(3000円)
で生活している。
なかなかしっかりしている母親である。PHUONGさん(5年生)、
QUON君(4年生)と子どもたち二人を学校へ行かせている。
二人とも学校では成績優秀賞を受けている。
子どもたちは母親の菅笠作りを手伝っている。
母親に聞いた。「どうして子どもたちを子どもの家へ入所させたい
のですか?」と。「今の生活では子どもたちを学校へ行かせ
られない。市役所へ行って生活困難者の認定を申請したが
何もしてくれない。子どもたちを学校へ行かせたい」とのこと。
キリスト教施設にお願いに行ったが、キリスト教への入信が
条件と言われた。私は仏教徒なので・・・と話していた。
PHUONGさん、QUAN君に入所の意思を確認。
母親も3歳の次男との生活となり寂しいだろうが、気丈に
振舞っていた。しかし、目からは一筋の涙が光っていた。
どんな時代・どんな世界であれ子どもと離れ離れで
生きなければならない母親がさびしくない訳はない。
悲しくないはずがない。3歳の弟も泣いていた。
子どもも母親にも責任はない。
『人民のため、働く人々のために』と言っているベトナム共産党
のスローガンに空しさを感じた。
真っ当に働いている真面目な親子を引き裂く「社会主義」とは
いったいなんだろうか? ハノイの交通大臣関連の建築会社
の社長が8億円もの大金をギャンブルでなくした。貧富の
格差の増大。ベトナム「社会主義」はどこへ行くのか?
ミンさん・ロックさんと話し、入所を決定。ロックさんが入所の
細かい手続きを話す。
石岡さんは入所聞き取りの様子をビデオ撮り。
税田さんは記録用にデジタルカメラ係り。
既に時刻は10時を過ぎていた。
続いて3番目の家庭HUEさん(14歳)の家へ。
PHUONGさんの家から車で1時間15分かかった。
フエ市郊外フーバン郡の農村地帯。
HUEさんの家に着いたのは、午前11時半過ぎ。
HUEさんの家は、6畳程度の何もない土間の家だった。
となりに同一一族の廟がある。廟の隣に掘っ立て小屋を作った。
HUEさんは14歳。中学2年生(日本の)。
10年前に生後数ヶ月で姉が死亡。8年前に43歳で父親が
病死。現在51歳の母親と二人家族。
母親は近所の農家の日雇いの手伝い。1日2万ドン(120円)。
母親は地元で生まれ地元の男性と結婚。
母親に「何故、HUEさんを入所させたいのですか?」と聞いてみる。
「私は地元の農家で生まれ学校も行っていない。せめて娘には学校で
勉強をさせてやりたい」とのこと。
HUEさんに入所の意思を確認。入所したいとのこと。
母親に「一人での生活になりますが、大丈夫ですか?」と
聞いてみる。「寂しいが娘のために我慢します。娘を宜しく
お願いします」との答え。母親の心中を思うと言葉が出ない。
フランスのカミューが不条理という言葉を使ったが、
正に『世の中の不条理』を感じた。母一人娘一人の
家庭の母娘を引き裂くこの世の中の不条理を恨めしく思う。
母親から「娘を宜しくお願いします」と言われ、言葉が詰まってしまう。
今、私たちのできることはHUEさんを「子どもの家」でしっかりと
育てることだと改めて心に誓った。
HUEさんの家からまた1時間15分。フエ市内へ戻る。
入所希望者と直接会いし、話を聞き、実情を調査する
ことは海外NGOにとっては一番大事な仕事である。
午後1時近く。
ミンさん、ロックさん、税田さん、石岡さんで大衆食堂へ行き
昼食を摂る。
午後1時半トンチンカンホテルの自室へ戻る。
朝8時半から4時間。蒸し暑い中、精神的にも強い打撃を
受けた。部屋に戻った時、暑さと湿気、精神的な疲れもあり
直ぐに昼寝。
午後4時過ぎ、日本料理店へ。大塚さん、税田さん、
中村さんと子どもたちが夕食の準備。
午後6時半、フエ市人民委員会の関係者を招待。
フエ市長、フエ副市長、フエ市財政部長などが来店。
カオ市長、タン副市長
外務部長、セン「子どもの家」運営委員長、ミンさん
フリーでフランス人、ベトナム人医師、越境のお客さん
5人が来店。
投稿者 koyama : 2006年05月06日 10:20