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2006年05月04日

北垣さんツアー「ファンダンルー高校」へ

晴天・快晴。

午前8時過ぎ、ラームさん・ミンさんと一緒に北垣さんツアー(5人)
の宿泊先ホテルへ。ホテルはフエ駅近くのフランス植民地時代の
仏中部総督府跡。最近フランスが高級ホテルに改装。

午前8時半、フエ市郊外のフーバン郡にある省立ファンダンルー
高校へ。2年前からツアー参加者の一人である大阪の志村さんが
25人の生徒に奨学金を贈呈している。

高校はちょうど学年末の試験中。校内は試験中ということもあり
静まり返っていた。

副校長先生や試験のない奨学生が出迎えてくれた。
会議室で志村さんをはじめ日本側参加者と奨学生との
懇談を行った。

初めに副校長先生から学校説明。その後、奨学生の進路、
学業成績などの報告があった。

昨年度、25人の奨学生のうち高校3年生は13人。
10人が4年制大学に進学。2人がフエ師範短大。
一人が専門学校へ進学したとのこと。
その中には、トゥアティエンフエ省(100万人)の
高校生の中で物理が全県2番目の成績を残した生徒も
いた。またベトナムのドボットコンテストに参加した生徒も
いたという話である。
奨学生全員の進路が定まり、将来へ向けての大きな一歩を
踏み出したとのお礼の言葉があった。

今年度は、トゥアティエンフエ省の成績優秀者のコンテスト
で優勝し、全国大会へいく生徒がいるそうだ。また、省の
陸上競技会に参加し、女子100Mで銀メダルを獲得した
生徒もいるとの報告があった。

続いて奨学金贈呈者の志村さんより生徒へ励ましの言葉。
この奨学金で是非立派な人間になってもらいたいと挨拶。

志村さんの支援は人間作りである。志村さんの支援の姿勢と
結果に感謝。

最後の生徒・関係者と全員記念写真。


ファンダンルー高校から「子どもの家」へ行く途中、ベトナム事務所
を訪問。ベトナム事務所スタッフにお土産や激励の言葉を頂く。

午前10時過ぎ、「子どもの家」へ。
子どもたちの歓迎の歌と踊り。

子どもたちとの交流後、各施設を案内した。
団長の北垣さんは、1994年2月に初めておあいした。
最初に建てた「子どもの家」のA棟の建築資金を寄贈して
頂いたのが始まりで、その後、様々な支援をして頂いている。
現在は200人以上の生徒・学生に奨学金を贈呈している。


午後3時過ぎ、ベトナム事務所で松下先生と懇談。

午後5時過ぎ、日本料理店では子どもたちが夕食。
日本料理店は開店以来正常な人事配置が出来ないままでいる。
現在も4人のスタッフが休んでいる。店長は病気休養中、
調理主任ははしかで休み。子どもたちも二人がはしかなどで
休んでいる。大塚さんを中心に現員で何とか毎晩6時半から
の開店を維持している。病気中のスタッフの元気回復を祈る。


午後6時過ぎ、北垣さん一行が日本料理店へ来店。
バオミンさん、ラームさん、私も相伴。


今夜のメニューは子どもたちがほとんの料理を作る。
2月に鳥取から来て日本料理を教えてくれた徳岡さんの
「教え」をしっかりと守り、美味しい料理を提供することが
出来た。

●徳岡スペシャル1(そうめんサラダ)

●徳岡スペシャル2(牛すじ煮込み)


フエ生ビールから日本酒へ。
純米大吟醸「玉の光」を飲む。接客担当のホンニーさんは
升の中にあるグラスに日本酒を一杯注ぎ、あふれさせ、
升半分ほどまでこぼすように注いでいた。
教えた通りの接客。なかなか頭の良い子である。

午後8時半、北垣さんたちとの懇談夕食会を終わる。

子どもたちは午後9時過ぎに帰宅。
その後、大塚さん、税田さん、松下さん、石岡さんと
しばらく懇談。

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地元トゥアティエンフエ省共産党機関誌
「トゥアティエンフエ新聞」に日本料理店と私たちの活動が
紹介された。

『続きを読む』をクリックすると全文が読める。


JASSの家庭料理店と貧しい子どもたちの就職ヘのチャンス

フエの町を回ってみるとチャンカオバン通りに日本風のレストランがあります。
この日本料理店はJASS代表の小山道夫さんのアイディアから出来たお店です。この店は生活困難な子どもたちの就職の受け皿です。


(記事)

 もうけることが目的ではない


 JASSはフエで13年間活動しています。この間、300人以上の子どもたちがJASS「子どもの家」を卒業し社会に巣立っています。
『しかし、卒業する子どもたちは就職口がなく大変です。そこで私はこの日本料理店を作り、子どもたちに働く機会を与え、同時に日本料理をベトナム人や観光客に紹介しようと思いました』と小山道夫さんは話しています。

小山道夫さんによると、ベトナムには100軒近くの日本料理店があるそうです。しかし、専門の日本人の料理人がいるお店は少ないそうです。この日本料理店にも専門の日本人料理人はいません。小山さんを含め6人の日本人が日本料理の作り方や日本料理店の運営を子どもたちに教えています。
この日本料理店の名前をベトナム語に翻訳すると、家庭料理店「子どもの家」となります。開店から2ヶ月ちょっとたちましたが、日本料理は多くのお客さんに知られるようになりました。
今年の4月11日にはピースボート42人が日本料理店に来ました。
この日本料理店を日本のテレビや観光雑誌も紹介しています。
現在までお客さんのほとんどは日本人です。これからはベトナム人にも来てもらいたい。日本料理店を紹介するために、4月末と5月初めにフエ省・フエ市の関連機関の人たちを招待したいと思っています。
ホーチミン市やハノイ市の日本料理店では最低一人10ドルはかかりますが、
家庭料理「子どもの家」では、一人3万ドン(200円)から5万ドン(350円)程度で満足出来る日本料理を用意しています。これからたくさんのベトナム人に来て欲しいです。


記者が家庭料理「子どもの家」に到着するとは店頭は明るく、若い男性警備員がオートバイを片付けてくれました。日本料理店の中は日本風建築で、落ち着いた雰囲気です。壁にはたくさんJASS活動や子どもたちの写真が飾ってありました。
午後4時。子どもたちは日本人の指導を受けて料理の準備をしていました。日本から来た大塚合子先生が楽しそうに自分の「生徒たち」について話してくれました。
「子どもたちは料理の飲み込みが早い。一人がわかったら他の子どもにも教えています。現在、子どもたちは簡単なメニューの日本料理は自分で作れるようになりました。また、接客にも慣れて来ています。私たちは子どもたちに教えるだけですが、子どもたちはどんどん成長していきます。毎日が楽しいです」。

次に子どもたちにインタビュー。
女の子の名前のような『グエン・ゴック・タオ君』(阮玉草)は言いました。
「僕は料理が好きです。毎日、1つの日本料理を覚えようと頑張っています。
日本人の先生が教えてくれます」。

21歳の「TON NU HANG NI」(尊女永弥)です。
「ここでの仕事は楽しいです。毎月50万ドンの月給を頂いています。
18歳以上の人には給料、18歳以下には30万ドンの研修補助金をくれます」。

その時、小山道夫さんは他の子どもたちと打ち合わせ会をしていました。
小山さんと先生方、子どもたちと話し合っている様子を見ると暖かい家庭のような雰囲気を感じました。


JASSの新しい計画

グエンチャイ「子どもの家」以外にJASSはオートバイ修理研修工場、
日本語学校を作りました。最近は日本料理店も作りました。
困難な子どもたちの就職問題を何とか解決しようとしています。
今年、JASSは更に新しい試みに挑戦をしています。それは縫製研修工場の建設です。
フエ市人民委員会の許可を受けて日本政府からODA支援をもらい縫製研修工場を作ろうとしています。
縫製研修工場は2006年末に完成予定。縫製工場では100人の子どもたちが働く予定です。37「子どもの家」の子どもたちだけでなく、フエ市の貧しい子どもたちのための縫製研修工場でもあります。JASSはたくさんの実績を作りました。しかし、記者がたくさん質問をても小山道夫さんはまだ満足していないと言っています。
「ほかのプロジェクトをしたいですが、問題は財政です。現在、私はフエ市人民委員会と契約し2014年までフエで活動する予定です。13年間フエで活動して、ストリートチルドレンは少なくなりましたが、貧しい子どもたちは増えたように思います。「子どもの家」支援活動を継続し、多くの貧しい子どもたちを救い、子どもたちにたくさんの仕事を与えたいと願っています」。
小山道夫氏はフエ市と静岡市の友好都市の仲介をした人です。6月には静岡市邦楽ボランティアの会が「2006年フエフェスティバル」に参加します。


(小山道夫写真付き記事)

毎年、JASSは20万ドルのお金を子どもたちの生活費、奨学金、ベトナム人スタッフの給料などに出しています。
JASS会員(1500人)から会費をもらい、他の日本人から支援金をもらいながら活動を続けています。今までオートバイ修理研修工場から70人の子どもたちが卒業。現在、「子どもの家」には63人の子どもたちがいます。
その他、25人の在宅支援。400人の貧しい子どもたちに奨学金をあげています。


投稿者 koyama : 2006年05月04日 11:18

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