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2006年05月02日
日本料理店夜開店2日目
晴れのち曇り
ベトナムは4月30日解放記念日、5月1日メーデーは
国民の休日。今日5月2日は、5月1日祝日が日曜日だった
ために代休。4月30日から今日まで3日間の大型「連休」。
ベトナムでは国民の祝日はほとんどない。3日間の連休は
文字通り大型。ただし、学校や公務員だけが休みで
一般庶民やお店など個人経営者は仕事。
午前8時半、昨夜日本料理店を訪れて井寄さんと
フォンザンホテルで懇談。バオミン・ベトナム事務所と。
その後、バオミン・ベトナム事務所長が案内し、王宮、カイディン帝廟
を見学。
私はベトナム事務所に行き、税田さんと今後のベトナム事務所・
日本料理店などの運営、今後のJASSの活動など諸般の問題を
話し合う。
午後、日本料理店の名刺(お店紹介)とリーフレットを作る。
手作りで写真をいれ、何故「子どもの家」の日本料理店
を作ったかなどを紹介。英語、日本語併記。
バンベ原稿の最終チェック。
午後2時、日本料理店へ。中村先生が従業員の出勤表を
作ってくれた。午後2時に「出社」し、個人の出勤表に出勤時刻を
記入するというシステム。全てに大雑把なベトナムである。
一般会社・役所などの出勤時刻も大雑把。
子どもたちに定刻に出勤することを教える。子どもたちは
出勤表に自分の出勤時刻を記入。いつも大幅遅刻の
ターオ君も2時07分に出勤。出勤表には2時05分と記入。
少しでも定刻に合わせようとの姿勢が見える。出勤表は
子どもたちが定刻に出勤するという当たり前のことを覚える
のには大いに効果があるようだ。
中村さんや税田さん、ハンさんたちが、メニューを作る。
日本語、英語、ベトナム語の3ヶ国語併記。
現在出来る日本料理、飲み物などの値段などを記入。
これで初めてお店としての体裁が出来る。
出勤後、日本料理店開店の準備。
私とリー君、イン君とで玄関のドア、屋根などの大掃除。
日本人スタッフは毎日一人「当番」で日本料理店を
手伝うことになった。今日は税田さんが当番。
5月1日から公式開店(夜だけ)をしたが、未だに
変則的な開店である。
店長は既に1ヶ月以上休んでいる。(体調不良)
料理主任のイエンさんは、はしかで既に数日休んでいる。
今日から料理・接客のグエットさんも「はしか」で休む。
再度、日本料理店の運営体制を変える。
店長に大塚さんをお願いする。また、会計もホン店長が
していたが、税田さんにお願いする。ある意味で人事を
再度一新。それでも3人もの店員が休んでいる中での
毎日の開店である。
その後、大塚店長を中心に厨房で今日の夜6時半からの
開店にあわせて料理の準備。
午後5時半、子どもたち・日本人で夕食を摂る。
午後6時半、日本料理店開店。雨が降っている。
店の前では、リー君がメニューを持って「客引き」。
「外国人」に声をかけ、日本料理店に案内するのは
慣れたものである。今までの長い間の路上生活の経験が
生きている。外国人を見ると「あの人は何人」と的確に
国名を当てる。
小学校卒業ではあるが、フランス語、英語でフンブオン通りを
歩いている観光客に「ジャパニズ・レストラン」、
「ジャパニズ・フーズ、ナンバーワン」と声をかける。
「先生、早く日本料理店の名刺を作って欲しい。俺が
町に出て、外国人やシクロの運転手に渡したい。
1日100枚は必要だからたくさん作って欲しい」との
提案。観光客に声をかけ、断られたら次の人と慣れたもので
ある。
午後7時過ぎ、ベトナム人夫妻が来店。ビール、カレーなどを
注文。
続いて日本人が来店。
厨房・接客のホン・ニーさんは仲間のグエットさんが
はしかで休んでいることもあり、接客を一人でこなす。
注文取り、配膳、ビールや飲み物注文、そして「会計」、
中村先生がテーブル毎に会計伝票を作った。
ニーさんは、テーブル毎の会計伝票にお客さんが
注文した料理を記入漏れなく的確に書き込んでいる。
記入の仕方などを大塚さんや税田から聞きながら、
一品の料理の記入漏れもないよう「真剣な眼」。
午後8時過ぎ、アメリカ人。昨夜も来店した方。ニューヨーク市
役所で障害者を担当していた役員。
昨夜、JICAの障害児支援のプロジェクトなどを話したのに
興味を持っての再来店。
1999年~2002年の「JICA障害児支援プロジェクト」など
英文のJASS関連の資料を渡す。
何種類かの日本料理を注文。上手に箸を使う。
ニューヨークで日本料理店に通った形跡あり。
そのうち、私の渡した英文の資料に興味を持ち出す。
熟読。結局午後10時半まで2時間半、日本料理店で
2冊のJASS関連の英文資料を「読破」。
午後9時には子どもたちを帰宅させる。
午後10時近くには大塚さんも遅くなたの引き取って
もらう。
結局、午後10時半まで英文資料を読んでいたい。
それだけ、私たちの障害児への取り組みに興味が
あったようだ。午後10時半、退店。
「あなたのやっている仕事は本当に立派だ。
アメリカ人の私たちには何もできないが、あなたの
活動を支援したい。自分の知り合いの観光会社の
社長がいるので、日本料理店の情報が欲しい」
とのこと。急いで3階の部屋に戻り作りつつある
日本料理店の名刺を印刷し渡す。
ノラさんという。私にメールアドレスを教える。
メールに情報を書いて送って欲しいとのこと。
午後10時半、日本料理店は閉店。最後は私と今日の担当の
税田さん。
今日のお客さんは4人。昨日は8人。こうして毎日、
コツコツと仕事を積み重ねる必要がある。
毎月、20日には従業員に給料や研修補助費を出さなければ
ならない。
投稿者 koyama : 2006年05月02日 06:46