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2005年10月06日
耳鼻科ーベトナム航空へ
終日・曇天。
午前中、耳鼻科。溶解した耳垢を取る。ピンセットで取るのか
と思ったら機会で吸引。よく聞こえるようになった。この3日間は
右耳が全く聞こえない(完全に溶解した耳垢で詰まっていた)
状態だった。人間は左右対称の生活に慣れてしまっている。
右耳と左耳とから同時に音が入ってくる生活に60年近くも
慣れてしまうと、片方だけの音の生活は以外に不便なことを
体験した。老後の疑似体験と言ったところ。とにかく、聞こえるように
なり、明日からの講演会できちんと声が出せるようになったので
一安心。
教育評論12月号推敲。必要な写真も選ぶ。
2005年ボランティア貯金中間報告書加筆修正。
バオミンさんに添付資料としての写真を1枚追加依頼。
午後3時、霞ヶ関大同ビルにあるベトナム航空に行く。
2005年1月15日にホーチミン市でパスポートの盗難に遭う。
その際、パスポートに入れてあった帰りの航空券も盗難。
直ぐにホーチミン市警察に盗難届けを出し、ベトナム航空の
ホーチミン市支店で盗難の諸手続きを行う。新しい航空券
を買い日本へ帰国した。帰国後、ベトナム航空の日本支社
(霞ヶ関)へ行き、盗難航空券の払い戻し手続きを行うが
1年後に手続きを受け付けるとのことだった。その際、
必要な書類を言われ準備をした。それから1年半たった。
今日、改めてベトナム航空日本支社(霞ヶ関)まで行き、
払い戻し手続きを行うが、必要な書類が違うといい、受付すら
出来ない。1年半前にベトナム航空日本支社の00という担当者
が言った書類を全て用意したのに何故駄目なのか・・・との
やり取りが続く。結局、ベトナム航空日本支社の係りの人は
「上司に相談する」「今日は書類を置いて帰って欲しい」とのこと。
しかたなく帰る。帰りの地下鉄内幸町ホームに電話。
上司が書類は問題ないと言っている、支払いは3ヶ月後になる、
とのこと。いやはや大変な航空会社ではある。
単純な払い戻しという手続きに1年。払い戻しというこれまた
単純な手続きに3ヶ月もかかるという。ベトナム航空支店は
東京・大阪・福岡・名古屋にしかない。これらの都市住民
でない人は大金をかけてこれらの都市に出て行くのか?
片道航空券の払い戻しにこれほどのエネルギーを求める
ベトナム航空。これでは、世界に通じないなあと考えながら
帰宅する。午後5時過ぎ。
「人間(じんかん)宣言」(住井すゑ・永六輔)読了。
光文社:知恵の森文庫
人間の縁とは不思議なものである。
永六輔が新国劇を勉強したくて1年半ほど和歌山へ行き、
澤田正二郎を良く知っているお爺さんの家へ泊まり
当時の話を聞いたそうだ。その人が「水平社宣言」を
書いた西方万吉(さいほう まんきち)氏だったそうだ。
西万万吉と住井すゑは仲良しでよく住井すゑは西方の
家へ泊まりに行ったそうだ。
西方は、大正11年3月3日の「全国水平社創立大会」の
宣言を起草したが、戦前、天皇制を認め「転向」。
戦後、永六輔が通った頃は部落解放同盟からも
その他の部落問題の関係者からとも疎遠になっていたとのこと。
住井すゑは差別の根源に天皇制があるしている。
西方が戦前天皇制を認めたことを是認した上で、西方を高く
評価している。人間は様々な主義主張を持っている。
そうした主義主張・宗教など思想の更に根底には
人間はみな平等、人間に対する根源的な愛情があるということを
二人は説いているように思う。保守主義であれ社会主義であれ
共産主義であれ、その根底に人間平等・人間への根源的な
愛があることを強く訴えていると私は読んだ。
(続きを読むに「全国水平社創立大会」の宣言)一読の価値あり。
永六輔・筑紫哲也はこの宣言が、日本の人権を
書いた宣言の中で一番素晴らしい文章だと述べている。
住井すゑの尊敬する人間はただ一人だそうだ。
アナーキストの幸徳秋水である。井上陽水は幸徳秋水
の遠縁にあたるそうだ。この一族は名前に「水」をつける
とのこと。
明日の横浜市立あざみ野中学校講演会の講演内容準備。
ビデオ等調整。明日は7時過ぎに自宅を出る。
明日は5時起床。6時半朝食。朝食用の味噌汁を作っておく。
ジャガイモと玉ねぎの味噌汁。
宣言
全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ。
長い間虐(いじ)められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる
方法と、多くの人々とによってなされた吾等(われら)の為の運動が、
何等の有難い効果を齎(もたら)さなかった事実は、夫等(それら)の
全てが吾々によって、又他の人々によって毎(つね)に人間を冒涜され
ていた罰であったのだ。そしてこれ等の人間をいたわるかの如き
運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想えば、此際吾等の
中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運動
を起こせるは寧ろ(むしろ)必然である。
兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者(かっこうしゃ)であり
実行者であった。陋劣(ろうれつ)な階級政策の犠牲者であり男らし
き産業殉教者であったのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき
人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖かい
人間の心臓を引き裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけ
られた呪われの夜の悪夢のうちにも、なお誇り得る人間の血は
、涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が
神にかはろうとする時代にあるのだ。犠牲者がその烙印を投げ
返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠(けいかん)祝福される
時が来たのだ。
吾々が、エタであることを誇り得る時が来たのだ。
吾々は、かならず卑屈な言葉と怯だなる行為によって、祖先を
辱め、人間を冒涜してはならない。そうして人の世の冷たさが
、何に冷たいか、人間を()る事が何であるかを良く知っている
吾々は、心から人生の熱と光を願求礼賛(がんくらいさん)する
ものである。
水平社は、かくして生まれた。
人の世に熱あれ、人間に光あれ。
大正11年3月3日
全国水平社創立大会
投稿者 koyama : 2005年10月06日 17:00
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