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2010年03月31日
静岡大学ニフィー入試準備
快晴 気温32度
午前7時朝食。
新人日本語教師の古竹先生も少しフエでの生活に慣れてきた
ようだ。
朝食は青豆のおかゆと魚の甘辛煮
今日も6つのツアーが来訪している。
ベトナム事務所員全員が分担して対応している。
ベトナム事務所員の努力に感謝してる。
午前8時過ぎ、ベトナム事務所にて「静岡大学工学部入試」
の準備を行う。静大から3人の教員と1人に事務官が出張。
はじめにベトナム事務所側のスタッフ(小山・原田・古竹・
ハン・フオン)と入試の意義、具体的な作業日程、
作業の内容、手順等の打ち合わせがあった。
かなり細かく、しっかりとした準備の内容であった。
基本的に日本の静岡大学の入試と同じ内容・手順で
行うための準備作業となった。
その後、静大側の責任者松本先生と私は今後のニフィー
プロジェクトによる入試の進め方について1時間ほど
打ち合わせ。
その他の人たちは、入試会場である「静岡フエ青年交流会館」
での入試の諸準備を行う。
午前中はベトナム事務所にて入試準備作業。
昼食を経て、午後2時より「静岡フエ青年交流会館」へ行き
明日の入試の準備活動を行う。
はじめに1階と2階の入試会場の掃除。
松本先生を中心の静大の先生方が入試会場の設営の相談。
明日は、午前中は筆記試験、午後は面接試験。
面接試験の机の位置を何度もやり直し、受験者に
プレッシャーがかからないような机配置を工夫する。
会場には必要な張り紙を日本語・ベトナム語で書き、
受験者が困らないように工夫。
静岡フエ青年交流会館門前には静大の大きなポスターを貼る準備。
午後5時半、1日の準備作業を全て終了。
午後6時半、明日の入試の最後の打ち合わせを兼ねて
夕食会。
午後8時半、静大入試関連の夕食会を終え、日本料理店
の様子を見に帰る。今日は大塚さんも私もいない。
こどもたちだけの日本料理店運営である。
今日も欧米系を中心に17人の来客あり。
午後9時、日本料理店終了。17人の来客の対応を
きちんとやり遂げたこどもたちを褒める。
その後、しばらくバオミンさん・原田先生・家族・リー君とで
今後の日本料理店のあり方などについて話し合う。
2010年03月30日
6つのグループ来訪、ベトナム事務所大忙し
快晴 気温32度。
この1週間ばかり気温20度を下回り、寒く、雨の毎日だった。
今日は久しぶりに快晴。青空が戻って来た。
午前5時起床。昨日の日記を書く。
午前7時朝食。今日から新日本語教師古竹先生も
朝食に加わる。
これから1年間、健康に気をつけて日本語学校教師として
また、ベトナム事務所員として活躍してもらいたい。
活躍を期待している。
精進麺。昨日が旧暦の14日で精進料理を食べる日。
フエでは「子どもの家」も含めて多くの家庭では
旧暦の1日と14日精進料理を食べる風習が色濃く残っている。
屋上にフトンを干す。
今日は6つのグループが来訪する。
①地球の歩き方スタディーツアー(フエ高等師範大学交流)
②地球の歩き方日本語教師体験ツアー(フエ高等師範大学)
③静岡大学入学試験関係者来訪(4人)夕方
④工場視察の社長さん来訪(夕方)
⑤大塚さんの知り合い来訪
⑥我が家族
①から⑤までには、ベトナム事務所員の案内が付いた。
バオミンJASSベトナム運営委員長はその分担に苦労していた。
午前中、シクロに乗り家族と「子どもの家」へ。里子と対面。
中学2年生になっている。里子になって既に10年近く。
シクロで20分。「子どもの家」に到着。
フン(HUNG)君が「靴磨き・靴修理店」を「子どもの家」の
門前で開店。
今日はまだ来客なしとのこと。そのうち靴磨き店を放り出して
行方をくらます。インターネットカフェで遊んでいた。
気ままな仕事振りである。
「子どもの家」では久しぶりの晴天下、女の子たちが
庭で遊んでいる。我が家族も一緒に遊ぶ。
運動室では、ロック寮長を中心に男子が卓球で遊んでいた。
里子と一緒に近くの市場に行き、Tシャツや靴などを
買ってやる。
午前11時過ぎまで「子どもの家」のこどもたちと遊ぶ。
昼になってバオミンさんと一緒に「チャオバンカン」の
店へ行き、各自3杯のチャオバンカンを食べる。美味しい。
午後1時過ぎ、「ハイリーホテル」へ戻り。昼寝。
熟睡。
午後2時半、20数通の受信メール(ベトナム事務所への
メール多数)をチェックし、15つほどの返信メールを書く。
午後5時、ベトナム事務所へ。
日本料理店では、地球の歩き方スタディーツアーの
最後の晩餐会の食事の準備中。
今日は大塚さんと私も夜はいない。
こどもたち4人(チェン・ヒエウ・グエット・リー)だけで
食事の準備をしていた。
午後5時半、ソン君と一緒にベトナム事務所を出発し、
フエ空港へ。午後6時20分、工場視察のNさんの出迎え。
ソン君と一緒に市内レストランで夕食。
その後、ホテルへ案内。車中・レストランで明日からの
視察活動の打ち合わせを行う。
その後、宿泊ホテルまで案内。
今日は満月の月が雲ひとつない夜空に輝いていた。
ーーーーー
昼過ぎ、大塚さんが友人の方と一緒にホーチミン市からフエへ。
友人の方と一緒に終日行動。
バオミンさんは、午後8時半着の静岡大学入試関係者を
空港へ出迎え。その後、一緒に夕食。
原田先生たちは、日本語教師体験ツアー参加者(2人)と
一緒にフエ高等師範大学日本語学科で体験授業を行う。
クアンさん・アンさんたちは、地球の歩き方スタディーツアーの
参加者と一緒にフエ高等師範大学学生との交流
夜は原田先生も加わり、日本料理店で最後の晩餐会。
それぞれベトナム事務所員全員が分担をし、今日の日程を
無事終了させた。ベトナム事務所員の団結と仕事への
熱心さに敬服する。朝早くから夜遅くまでの仕事であるが
誰一人文句も言わず、自らに与えられた仕事に邁進して
いた。
ベトナム事務所員の皆さんの協力と奮闘に感謝したい。
ハンさんのお父さんが10数回目の入院。8回ほどの手術を
したそうだが病気がなかなか治らない。
2010年03月29日
地球の歩き方ーナムドン山岳地帯へ
曇り・時々小雨
気温18度。湿度85%
午前5時半起床。昨日の日記を書く。
午前7時朝食。
大塚さんが友人を案内してホーチミン市に行っているので
私と原田先生の二人。
キャッサバ芋のチャオバンカン
午前8時、ベトナム事務所。
新ベトナム事務所では、スタッフが活発に仕事をしていた。
地球の歩き方スタディーツアー案内、日本語教師体験ツアー
受け入れ、日本料理店、日本語学校、フエ高等師範大学、
ブライセン、その他の業務の分担と責任体制をしっかりと
確立した。それぞれのスタッフがそれぞれの分野の仕事に
精通しつつ仕事に責任を持つ体制ができつつある。
結婚も間近で仕事に熱の篭ってきたソン君。
日本語学校主任としての仕事だけではなく、
ベトナム事務所全体の責任者の一人となり、ベトナム事務所
の中心の一人として活躍しているフーン先生。
午前9時半、新任の日本語教師古竹先生が赴任。
初顔合わせ。
昨年大学生協スタディーツアーに参加し、JASSの活動を知る。
その後、JASSの日本語学校教師として赴任したいとの気持ちが
固まり、今回の赴任となった。1年間、体に気をつけて
日本語学校やJASSベトナム事務所の各種の仕事を完遂して
欲しい。
私のほうからは、あまり「肩に力をいれないで仕事や生活を
して欲しい」との要望を述べる。
今後、新任教師のオリエンテーションを行う。
私からは「JASSの歴史」、バオミンさんからは「ベトナム事務所
での生活や決まり」、フーン先生・原田先生からは「日本語教師
の仕事・その他」などが話される予定。
午前10時、地球の歩き方スタディーツアーはナムドン山岳地帯へ。
私、ソン君、リー君の3人でナムドンまで引率。
フエをでて1時間半。車中で「ベトナム戦争」、「少数民族」
「ベトナムの略史」などを説明する。1時間。
午前11時半、ナムドン山岳地帯の中腹に到着。昼食を摂る。
午後1時、ナムドン山岳地帯の一つ「トゥオンロー村」へ到着。
支援物資などをもって入村。
今日は地元「フエテレビ」の取材クルーが入っている。
日本人とカトゥー族との交流の模様を放映するとのこと。
58歳の村長さんの挨拶。「共産党のお陰で山奥に住んでいた
カトゥー族は山の麓まで下りてきて、農耕など安定した仕事
をすることができるようになった。電気もつくようになった。
これもホーチミン主席と共産党のお陰である」
地球の歩き方スタディーツアー参加者が各自で持ってきた
衣類や支援物資とJASSの支援物資を贈呈する。
今日の全ての交流の様子を「フエテレビ」は取材していた。
明日あたり放映の予定。
歓迎の踊り。地球の歩き方スタディーツアーなどが訪問する際
歓迎の歌や踊りを披露してくれる。既に忘れ去れてた
カトゥー族の古い歌や踊りを若者グループが長老から聞き出し
発掘し、再現する取り組みが進んでいる。
毎回、来るたびに新しい踊りが復活している。私たちのカトゥー族
との交流は、カトゥー族の民族文化復活と村の長老と若者との
交流を促進するという副産物ももたらしている。
日本側のお礼の歌
カトゥー族でただ一人伝承している「ヤギの角笛」を吹く
85歳の老人。カトゥー族では最後の角笛吹きとなってしまった
とのこと。跡を継ぐ若者がいないそうだ。
交流会場前の庭でカトゥー族伝統の踊りを日本人とカトゥー族
に皆さんで踊る。
月曜日にもかかわらず、たくさんの村人が参観に来ていた。
縄跳びや綱引きで交流。
日本からの参加者へフエテレビのインタビュー
私もフエテレビのインタビューを受ける。
「何故、長年、日本の若者を少数民族交流に連れてくるのか?」
「今後の交流の一層の発展に向けて少数民族側はどんなことが
必要か?」などを聞かれ答える。ソン君が通訳をしてくれる。
その後、歓迎の宴となる。いよいよリー君の出番である。
手作りの米焼酎が出される。今日はリー君と文化部長が
のりに乗って18杯飲む。
リー君の恋愛の歌。前回は失恋の歌だったが、今回は
前向きの「恋愛進行中」の歌。現実の生活が歌にも
反映されているようだ。
カトゥー族文化部長さんのキター弾き語りの恋愛歌
午後5時半、フエ市内へ戻る。
ナムドン山岳訪問中、2度日本からの電話あり。
昼休みに携帯パソコンでメールをチェック。
日本からの緊急なメール5通を読み、返事を書く。
便利になったことは事実である。
数年前までは、携帯電話を使えなかったナムドン山岳地帯
である。今やインターネットまで使えるようになった。
「便利さ」は同時に「人間の酷使」へとつながる。
私は、24時間携帯電話を手放せない。いつ誰から電話が
あっても出られるようにしている。
インターネットもしかりである。
今日は東京品川にあるIT企業ブライセンと電話会議を
行った。ナムドン山岳地帯と品川のブライセン本社が
結ばれ、会議をすることができることは、「便利」なことで
はあるが、私個人とすると「超労働強化」ということにもなる。
チャップリンのモダンタイムスの映画ではないが、
文明の「進歩」が人間性を破壊して行く?
半分狩猟漁労生活をしているナムドンの人々の生活と
品川の本社と電話会議をし、インターネットのメールを
ナムドンの山の中にまで着てまでもしなければ
ならない私の生活とどちらが、幸せなのであろうか?
人間の幸せと科学の進歩とは必ずしも一致しないことを
ナムドンで痛感している、が、現在の私はこうした
生活をせざるを得ない。
ーーーーー
日本料理店では夕食中。今日は大塚さんも調理主任の
TUOIさんもいない中での日本料理店開店となる。
日本語教師として赴任初日古竹先生が、こどもたちと
一緒に初夕食を摂っていた。こどもたちと交流。
午後7時、日本語教師体験ツアー(2人)の皆さんが
日本料理店で夕食。原田先生、フオン先生と会食をしながら
日本語教育の話し合いをする。
私も隣で家族と夕食。
今日は欧米系の来客多数。結局、午後9時までに
総計22人の来客あり。
接客のリー君、厨房のチャンさん、ヒエンさん、そして
接客からピンチヒッターに入ったグエットさんの力で
22人の来客の全ての注文を見事にこなす。
午後10時過ぎ、家族のホテルを引き上げ「ハイリーホテル」へ。
2010年03月28日
地球の歩き方5班、「子どもの家」で交流:新日本語教師古竹さん到着
終日雨
気温18度。非常に寒い。
午前7時起床。フエに戻り何の食事の準備もしていない。
今日は日曜日。3食休み。
洗濯。
多数のメール受信。1時間かけて返信。
午前8時半、家族の泊まっているホテルへ。
家族と一緒に「子どもの家」へ。
「子どもの家」では地球の歩き方5班の皆さんが
ソン君、フオン先生の案内でこどもたちと遊びの交流。
風船バレーボールに興じる。
こどもと日本の風景を撮ったデジカメ写真を見ながら交流
女子の部屋では絵を描いたりして交流。
今日は3人の兄弟が「子どもの家」に入っている祖母が
孫に会いに来ていた。諸般の家庭事情で
3人の孫を「子どもの家」に入れざるを得ない祖母の
気持ちを考えると何とも言えないつらい気持ちになる。
私のように孫と一緒に「子どもの家」に来ている立場からすると
世の中の不条理を考えない訳には行かない。
と言っている私でも1年間のほとんどをフエですごしている。
孫に会えるのは、本当に瞬時に過ぎないのではあるが。
ピアノを教えあいながら交流する
ソン君の司会で次は「椅子取りゲーム」。
昨日、「子どもの家」の門前で「靴磨き・靴修理屋」を立ち上げた
フン君が今日も「子どもの家」へ来て遊んでいた。
既に数年前に「子どもの家」を退所。靴作り工場で働き、自立していた。
ところが、最近勤めていた靴作り工場が倒産。フン君は職を失い
靴工場で培った靴修理の技術を使い、路上・即席靴磨き修理屋を
はじめたと言う次第。1日多いときで4万ドン(200円)、少ないときで
2万ドン(100円)程度の収入があるそうだ。フォー(米うどん)1杯が
100円程度。何とか食べていける最低限の線を行ったりきたり
している生活状況。
退所しているが、「子どもの家」に入り込み、「子どもの家」で
寝て何とかその日暮らしの生活をしているとのこと。
「子どもの家」の寮母さんも寛大な気持ちをもっている。
「子どもの家」を退所したからと「どこかの国のお役人」の
ように「子どもの家」に来たこどもたちを追い出したりはしない。
フン君は10数年「子どもの家」で生活していた。
生活と人生に困ったら結局帰ってくるところは「子どもの家」だけ
なのだ。フン君の今後の身の振り方を考える必要がある。
兄のハイ君は、以前、我が「ハイリーホテル」の警備員をしていたが、
その後、警備員などのいくつかの仕事をし、今は、仏門に入門した。
仏門に入れば、食べていくことだけは保障されている。
しかし、難しいお経を覚えることがでるのだろうか?
どんなルートを辿って仏門に入ったのか興味深いものがある。
人が生きると言うことは、厳しいものがある。可愛そうだから
と言って直ぐに何でも上げたりすることは、最終的には
こどもたちを駄目にすることになる。厳しいけれで「自分の足で立つ」
道を見つけられるように協力していくことが最良の道と見た。
午前11時過ぎ、「子どもの家」のこどもたちとの交流を終えた
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんは、ソン君、フオン先生の
案内で昼食レストランへ。
私は家族と一緒に一度、宿泊ホテルへ戻る。
しばらくするとバオミンさん家族から連絡。ホテルのロビーに
来ているとのこと。
今回の我が家族のフエ来訪の一つは、我が孫がバオミンさんの
お子さんのアルファーちゃんと遊ぶこと。2004年から何度も
フエに来ている我が孫は、その度に同年齢のアルファーちゃん
と遊んでいた。
バオミンさん夫妻、アルファーちゃん(8歳)、ベーター君(2歳)と
一緒にフエ名物の「バイン・クオン」を食べに行く。
米粉を蒸し、その中に野菜と焼いた豚肉が入っている。
唐辛子、ニンニク、ヌオックマムなどを入れて付け汁で食べる。
焦げた豚肉と野菜の味が馴染み、唐辛子の辛さとあいまって
美味。
午後1時半、「バイン・クオン」の昼食を終了。
市内のホテルへ戻る。
私は雨の中、カッパを着て「ハイリーホテル」へ戻る。
今日は朝食を摂っていなかったので、朝食後に飲む
薬を飲む。
寒いので昼寝。午後2時から午後5時まで3時間寝てしまう。
読書。
3月は本当に忙しかった。本を読む気力と時間がなかった。
時間があれば横になっていた。3冊しか本が読めなかった。
●「ルポ 貧困大国アメリカⅡ」(堤未果著:岩波新書)
同書Ⅰでアメリカの貧困の現実を暴いた著者は
オバマ政権になり「チェンジ」が始まったと世界中が
注目している「オバマ政権のチェンジ」をルポしている。
ニセモノの医療改革、教育ローン漬けになっている大学生。
刑務所の民営化で州に刑務所を作ると大もうけする
アメリカの経済の実情を実に丹念にルポしている。
多くの国民へのインタビューを試みている。
私が注目したのは、「オバマ政権」を支持した多くの
貧困層・アメリカの民主主義者・左翼陣営が
失望と自戒の段階に入っていることである。
極端な格差、人間として存在しえないアメリカの
現実。倒産したGMの会長に100数十億円という巨額の
退職金が支給されている社会。そうした社会の格差と
闘い変革を求めた多くの人々が、オバマが「何を言うか?」
ではなく「オバマ選挙の資金はどこから出ていたのか?」
を注目しだしている現実を明らかにしている。
大手のローン会社、軍需産業・・・・・・。
貧困層を支援するボランティアのリーダーをしていた
ことを選挙の大きな看板にしたオバマだったが、結局
選挙勝利の資金は大手ローン会社などアメリカの財界
からでていたことを暴露し、オバマ政権が大事な・本質的な
改革ができないと予測している。また、そうした失望を
持った多くの支持者や知識人の声を紹介している。
同時に「そうした事実はあるものの、ブッシュよりは
ましだ、オバマ政権をただ批判するだけでなく、オバマ政権が
きちんと庶民の立場に立つように市民として「強い圧力」
かける運動をしようという市民の動きも紹介されている。
●「国境の南・太陽の西」(村上春樹著:講談社)
1992年にかかれたものである。
何とも得たいの知れない本である。いつものごとく性描写が
露骨に描かれ、ブランド品名の羅列があり、ジャズとアメリカ
音楽の薀蓄が語られ、それらが本書の「飾り」となっている
いるように思えた。本書を読んでの一番の感想は、
「人間を書いているようで人間の生活が全くかかれていない」
との感想を持った。著者が1960年代後半から70年代初頭の
学生運動に参加し、何らかの挫折と違和感を感じていることが
随所に書かれている。
政治を書かない政治の書と見た。
午後7時。フエ市内大衆食堂「コードー(古都)」へ。
空芯菜のニンニク炒め
アヒルの玉子焼き
トリのから揚げヌオックナムつけ
ビールをかなり飲み、仕上げにブンボーとフォーを
食べて1500円。
大衆食堂コードーから徒歩でホテルへ行く途中、ベトナム事務所
を通った。原田先生とアンさんが、新日本語教師を空港から
バオミンホテルへ案内し、ベトナム事務所へ帰って来たところ
だった。
偶然、リー君が新恋人とカラオケに行くところで、日本料理店
の前にいた。記念写真。
家族をホテルに案内し、雨の中「ハイリーホテル」へ帰る。
大塚さんは親戚・友人の出迎えでホーチミン市へ。
午後6時10分、新日本語教師の古竹先生がフエ空港へ到着。
原田先生、アンさんが出迎え。
投宿ホテルへ。その後古竹先生、原田先生、アンさんの3人で
ベトナム料理の夕食を摂る。
これから1年間、体調に気をつけ、日本語教育、スタディーツアー
の案内などベトナム事務所の総合的な仕事を推進して行って
欲しい。古竹先生の来訪を歓迎する。
2010年03月27日
地球の歩き方5班「子どもの家」へ
気温18度 寒い
午前6時起床。
午前7時朝食。
12日ぶりに大塚さん、原田先生と朝食を摂る。
一番、落ち着く場所である。
朝食は私の一番好きな「ブンボー」。
午前9時半、「子どもの家」へ。
「子どもの家」の入り口で「子どもの家」を卒業した
フン君が靴磨き店を「開店」していた。
●靴磨き店の看板(ダンボールに書いてある)
●車の運転手さんが、お客となり靴磨きを依頼。
今までの仕事を辞めたのか? 何故、「子どもの家」の
前で靴磨き店を開店したのか? 「子どもの家」の
寮母さんなどスタッフは、何を考えているのか?
など疑問が沸き起こるが、12日ぶりの「子どもの家」
訪問である。今日の私の任務である地球の歩き方
スタディーツアーの皆さんへの「講演会」と
歓迎の踊りなど文化交流会の成功が第一と考え
「子どもの家」へ。
地球の歩き方参加者は既に私の来る前にベトナム事務所を
訪問し、ベトナム事務所員との対面を行い、
その後、「子どもの家」へ。ソン君の案内で
「子どもの家」の各施設を参観している。
午前10時から1時間半、地球の歩き方スタディーツアー
参加者に「子どもの家」、国際支援の本質、ベトナム社会、
そして人生について「私見」を話す。
気温は18度。寒い。私も含め、完全に冬の服装。
続いて「子どもの家」のこどもたちとスタディーツアー参加者との
文化交流会。
こどもたちの出し物
スタディーツアー参加者の歌 スマップの「世界で一つの花?」
と言う趣旨の歌を歌う。
11時45分、地球の歩き方スタディーツアーの皆さんが
昼食を摂る為車でベトナム料理レストランへ。ソン君が案内。
「子どもの家」のこどもたちは、昼食。
私は家族と一緒に「フォー」の美味しい店「マイダオ」へ行き、
ハノイのフォーを食べる。フエもホーチミン市も「フォー」に
砂糖を入れため「甘く」て美味しくない。
「マイダオ」はハノイ風に作っているので美味しい。
昼食後、「ハイリーホテル」へ帰り、2時間ほど昼寝。
この12日間の訪日当のツアーの疲れが出たのか
熟睡。
午後4時。日本からSKYPEの連絡。1時間ほど話す。
午後5時頃、帯広の芳村さん・TUOIさんから電話。
TUOIさんは元気に生活していると電話で話していた。
一安心。
バオミンさんが、39度の高熱を出してダウン。
電話で若干の問題について意見交換。
フエは急に寒くなり、風邪を引く人が続出しているようだ。
午後6時過ぎ、家族の泊まっているホテルへ。
雨が降り出している。
遠くのレストランへいけないので、日本料理店へ。
家族は日本料理店の日本料理が美味しく気に入っている。
途中で原田先生も入り夕食を摂る。
午後9時過ぎ閉店。今日も欧米系のお客さんがかなりあった。
カナダのバンクーバー島から来た老夫婦は、日本料理店に
貼ってあった写真を見て、リー君に色々と質問。
リー君が私を紹介。
「子どもの家」とバンクーバー島の「クオーリカム・セカンダリー
スクール」は姉妹校になっていることなどを話す。
家族をホテルへ送り、小雨の中、「ハイリーホテル」へ。
疲れていたのでそのまま就寝。
2010年03月26日
11日ぶりにフエへ帰る
ホーチミン市 快晴 気温32度
フエ市 小雨 気温18度
3月16日日本料理店調理主任TUOIさんを日本料理研修の
ために日本へ連れて行き、その後、家族でホーチミン市などに
滞在。
午後7時、フエ空港着。ベトナム事務所のアンさんが
出迎えに来てくれていた。感謝。
11日間の全ての日程を終了し、午後8時頃、フエ空港から
日本料理店へ。
大塚さんや日本料理店のこどもたちと再会。
こどもたちも元気に日本料理研修に励んでいたい。
私の不在中は連日日本料理店は大盛況だそうで
15人前後の来客があり、人手が足りず大忙しの
状況だったそうだ。
久しぶりにフダ生ビールを飲む。天ぷら盛り合わせ、
ごぼうの天ぷら、お寿司、ひやむぎなどを堪能する。
11日間の不在中、リー君にはまた「新しい人生」が開けていた。
午後9時半、「ハイリーホテル」へ帰着。
中型スーツケースとパソコン入りのリュックを背負って
5階まで上がるのに苦労した。体力の減退を実感する。
11日間の洗濯物を洗濯する。
午後10時過ぎ、就寝。寒い。
11日間、芳村さんの家やビジネスホテルに泊まり、
かなりの疲労状態。
2010年03月22日
成田→ホーチミン市
成田快晴
ホーチミン市 34度
昨夜から成田のホテルに前泊。
午前5時起床。昨日の日記を書く。
メールをチェック。10通ほどのメールあり。
返信を書く。
午前7時半、朝食。ビュッフェ形式。
たくさんの中国人のツアーが泊まっていて席が取れない。
別室に案内され、ビュッフェの食事を取りに行く。
中国の人たちは順番に並んでビュッフェの食事を取る
ということが苦手なようだ。
午前8時半、ホテルを出て成田空港へ。
チェックイン、入管チェックもうまくいく。
たくさんの日本人が海外にいく。成田空港は混雑。
ベトナム行き待合室で1時間程待ち、ベトナム航空機に
搭乗。
待ち時間に3月末に日本語教師として赴任する
Fさんに電話。挨拶する。
6時間後、午後2時半(日本時間午後4時半)、
ホーチミン市(タンソンニャット空港)へ到着。
機内放送では、ホーチミン市は34度とのこと。
確かに暑い。
入国手続きもスムーズに終わる。
国際線から国内線まで歩きタクシーに乗る。
国際線のタクシーの運転手は「外国人」という
ことで「メーター」を倒さないでホテルまで行き
「法外な」料金を取る。トラブルが多い。
国内線まで10分ほど歩くとベトナムしか乗らない
国内線用のターミナルとなるのでタクシー乗客は
ほとんどベトナム人。
タクシーに乗るとすぐにメーターを倒し、
行き先を告げると適正な経路でホテルまで行く。
お礼にメーターの2倍程度の料金を支払う。
午後4時頃、ホテル着。
ウエルカムドリンク。
部屋からバオミンさんと1時間程電話で打ち合わせ。
いくつかの領域にわたる。
日本のマルタカ社長に電話。いくつかの
問題について話し合う。日本が今日休日とは
知らなかった。
日本語学校の原田先生に電話。
いくつかの件で相談。
午後6時から2時間程、ホテルで夕食。
午後8時、疲れているので就寝。
2010年03月21日
上野の山散策:孫と成田付近ホテルへ前泊
晴天 風が強い
午前中、上野の山を散策。まだ桜には少し早い。
それでも一部には早咲きの桜が咲いていた。
午後、京成上野駅で長男の嫁さんと孫と合流。
明日、成田発でホーチミン市へ。その後3日間シンガポール。
更にフエに5日間滞在の予定。
夕方、成田付近のホテルに」到着。
2010年03月20日
静大「ニフィー(留学)プロジェクト」総括会議参加
晴天 寒い
杉花粉症飛散多量。目が痒く、鼻水垂れる。
午前中、次男の家へ。二人の孫と遊ぶ。
長男の「髪切り」。
次男(4ヵ月)
午後、新幹線で静岡へ。
2008年4月、JASSベトナムベトナム事務所は、静岡大学の
「フエ連絡事務所」となった。
JASSベトナム事務所の準備で静大が3つの高校で
生徒、父母を集めての入試説明会を行う。
(グエンフエ・高校、ハイバーチュン高校、フェンダンルー高校)
フエ省教育長、フエ市長の推薦で4名の受験者が決まり、
静大関係者が、JASSベトナム事務所内にある
「静大フエ連絡事務所」で入試が行われる。
3名の合格者が決まり、2009年10月、静大に
入学。2010年3月いっぱいまで日本語のレベルアップ
のための勉強を行い、2010年4月から一般の日本人
学生と工学部の授業を始める予定。
今日は、静大ニフィー留学を主導したN財務担当理事、
T副学長、N工学部長、T就職課長、K元学務部長
など関係者が集まり「静大ニフィー留学総括会議」
を行う。
21010年4月1日、JASSベトナム事務所で第2年目の
入学試験が行われる。
新幹線で東京へ。
2010年03月19日
TUOIさん近所の日本料理店見学:帯広→羽田:高校「ラムディー」会
帯広 零下の寒さい
午前5時起床。暖房の付け方が分からなかったので
暖房なしの寒い部屋でメールをチェック。20数通の受信。
全て読むだけで頭が痛くなる。必要な返信。
昨日の日記を書く。
午前8時、芳村さん・TUOIさんと朝食。納豆、味噌汁・・。
芳村さんとTUOIさんで朝食を作る。
芳村さんの知り合いの家へ遊びに行く。
途中、帯広市を囲む山々は雪を冠り輝いていた。
日本の一般家庭を訪問。懇談。
その後、近所の日本料理店の厨房を参観させてもらう。
午後12時から国際ソロプチミスト帯広みどりの皆さんと懇談。
国際ソロプチミスト帯広みどりの皆さんは、1996年位から
「子どもの家」を支援してくれている。
「子どもの家」付属刺繍土産物店の戸棚等の支援、
グエンフエ高校女子高校生9名への奨学金の贈呈など
様々な形での支援を続けてくれている。
TUOIさんからベトナム土産の「刺繍」を贈呈。
昼食を摂りながら「ベトナムでの活動報告」うぃ行う。
いくつかの質疑に答える。
私は3時過ぎのJALで羽田へ帰る。
芳村さんの車で「とかち帯広空港」まで送ってもらう。
TUOIさんも見送りに来る。
分かれる時、TUOIさんの目から一筋の涙が流れていた。
初めての外国。誰も知らない帯広でのホームステーを
しながらの日本家庭r料理の研修。不安だらけである。
言葉の問題、これからどんな人生が待っているのか?
心配は絶えない。
一番の身近な私もいなくなり、さみしいのかもしれない。
不安に打ち勝って訪日の初期の目的を果たして欲しい。
1時間半の飛行で羽田へ。
花田でメール開く。マルタカ社長と長時間電話。
バオミンさんとSKYでいくつかの大事な仕事の件で
打ち合わせ。
午後6時半、高校同級生のY君・G君・K君とラオスラム酒の
ことで打ち合わせ、ビール会。
午後10時まで。
明日は静岡大学へ。
2010年03月18日
羽田→帯広へ
快晴 寒い
午前8時、日暮里のホテルで朝食。
その後、JR山の手線→モノレールで羽田へ。
午前1時半羽田発のJAL機でとかち帯広空港へ。
羽田から帯広まで1時間半。
帯広空港へは、TUOIさんのホームステーを受け入れてくれる
芳村さんが出迎え。
帯広は雪で真白。初めて雪をみたTUOIさんは、「氷」と言って
いた。
午後4時半、芳村邸到着。
ホームステー先に着くとTUOIさんは、疲れたのか2時間程
仮眠。その間、20通ほど入っていためーるを読む。
バオミンさんと電話で打ち合わせ。
マルタカ直井さんと何度か電話連絡。
静大関係者とニフィー工学部入試関連の打ち合わせ。
大学院入学関連の打ち合わせ。
午後7時半、支援者の経営している日本料理店へ。
夕食を摂りながら日本料理店の中を視察させてもらう。
TUOIさんは、調理人の人数、接客担当の人数、
調理の様子などを詳しく聞いた入りみていた。
大根でつくる刺身のつまの作り方を見る。
その後、夕食をとる。おでん、お寿司・・・・・
新鮮な魚を握ったお寿司
2010年03月17日
ホーチミン空港から成田→東京へ:元日本語教師の皆さんと懇談
快晴・気温10度台。寒い
午前0時05分、ホーチミン空港出発。
午前7時半、成田空港着。
成田空港の入管。私は5分で終わる。
TUOIさんは、1時間、待たされる。入管職員の配置数。
日本人入国入管スタッフはたくさんいたが、外国人
対象の入管スタッフが少ない。また、指紋と顔の
画像を撮るため一人ひとりの外国人入国に
時間がかかる。
9時前にやっと成田空港の到着ロビーに出る。
中村友香さんと日本料理店で日本料理を教えてくれた
お母さんが空港に出迎えに来てくれる。
元日本語教師の中村友香先生と一緒に京成で上野へ。
TUOIさんが疲れているので、根津の姉の家で休息。
2時間程、仮眠する。
午後3時過ぎ、日暮里のホテルへ。
ホテルで更に3時間程仮眠。
その間、中村先生、石岡先生などとホテルの
喫茶室で懇談。
午後7時、日暮里駅付近でTUOIさんに日本語や日本料理
を教えたり、「子どもの家」で生活の面倒を見た
元ベトナム事務所日本人スタッフが集合、会食。
TUOIさんの希望で「カレー鍋」を食べる。
TUOIさんの好きで、また日本料理の盛り付け方の
勉強の意味もあり、刺身盛り合わせを食べる。
日本料理店開店前に日本語を教えてくれた松下先生も
かけつける
新幹線でわざわざ宇都宮から来てくれた坂本先生
長い1日が終わる。
2010年03月16日
フエ→ホーチミン市へ
午前7時朝食。
ベトナム事務所関連の仕事
午前11時半。昼食。
日本一時帰国の持ち物等準備
午後5時、訪日するTUOIさんと一緒にフエ空港へ。SON君が
付き添ってくれる。
フエ空港チェックイン
午後10時半、バオミンさんがハノイ大使館で取得したTUOIさんの
訪日ビザを手渡す。ホーチミン空港から出発する間際だった。
午後11時。ホーチミン市空港をTUOIさんと一緒に出発。
バオミンさんの見送りを受ける。
2010年03月15日
訪日の最終諸準備:リー君と飲む
晴天 気温30度を越す
午前7時朝食。
午前8時半、ベトナム事務所へ。
土曜日のベトナム事務所配置換えで部屋が一新されていた。
午前9時から1時間半ほど、私の不在中の諸問題について
具体的な打ち合わせをする。
午前11時半昼食。
午後12時半、読書「「ルポ 貧困大国アメリカⅡ」
(堤未果著:岩波新書)
午後3時、バオミンさんと電話で打ち合わせ。
午後4時過ぎ、ベトナム事務所へ。
訪日し日本料理を学ぶTUOIさんの訪日を日本料理店の
こどもたちに紹介する。
大塚さんより、数年前に元ベトナム事務所員だった
人間が、JASSの作った日本料理店をそのまま使い
怪しい日本料理店を開店。日本料理のできるスタッフが
足りなく、我が日本料理店のこどもたちに「2倍の
給料を出すからJASS日本料理店を辞めて自分の
日本料理店に来い」との勧誘をし、TUOIとリー君
以外のこどもたちは、給料2倍に釣られ我が
日本料理店に退職届をだした。
その後、リー君は2度にわたり家出を敢行した。
そうしたこどもたちの過去の経歴を勘案し
TUOIの日本での日本料理体験が決まった。
TUOIの訪日の説明とこどもたちの納得を得て、
TUOIの不在中の体制を決める。
今日は13人の来客でにぎわった。
ホーチミン市からハノイまでオートバイで旅行している
日本人が来店。
午後9時、日本料理店閉店。13人の来客で終わる。
その後、いくつかの問題で「不満」を持ているリー君を
つれて、不満解消のため一杯飲む。
リー君におつまみを頼んだら、適正なおつまみが出た。
私は宴会で人数と疲れ具合いなどを総合的に勘案して
注文ができる人間を「優秀」と思っている。
そうした視点からすれば、リー君は超優秀と言える。
午後10時半までリー君と飲む。
2010年03月14日
日本一時帰国の諸準備
快晴
午前6時、洗濯。ジーンズなどを洗う。
スニーカーを洗う。昨夜、洗剤入り温水につけておいた。
洗剤をつけて、たわしできれいに洗う。
屋上に干す。かなり長期間はいているので、靴底がはがれる。
明日、接着剤を買い補修し、更に履き続ける予定。
午前8時まで就寝。
午前10時、朝食。昨日の夕食の残り物(ご飯、天ぷら)を
レンジで温め食べる。
3月16日フエをでて一時帰国をする。その準備。
細かい持ち物一覧表を作り、準備をする。
JASSへの支援を表明しているA社へ「JASS紹介」の
文章、会則、活動の歴史など書く。
スーツケースは2月27日に「ハイリーホテル」へ帰って
来た時に置いたまま、中の整理すらできていない。
この2週間、あまりに忙しすぎ、スーツケースの中身の
整理をする時間がなかった。改めて日本から持ってきたもの
などを整理し、部屋に収納する。かなりの書類がスーツケースに
入っている。1通1通熟読し、廃棄・保存と分ける。
午後12時。寝ながら読書。
「東南アジア地域統合とベトナムー内外の民主化活力と中国への
接近ー」(中野亜里著:日本国際政治学会編「国際政治」158号)
ソ連崩壊後のベトナム社会主義一党独裁国家が、今後どこに
軸足を置き、複雑な国際政治の中で生き残っていくのか?
著者は最近のベトナム共産党の方針を、「ASEAN WAY」
(加盟国の内政不干渉)に根拠を置き、ASEANを通して
ベトナム社会主義を守っていく方向を示していると分析。
更に1979年の中越戦争、南沙・西沙群島などを中国が
領有権を主張し、占拠している事実を容認したり、
ベトナム中部の山岳地帯に中国のポーキサイト発掘権を
認め、数千人の中国人が流入することなどを通じて、
中越共産党の一党独裁体制という共通項を通して
最近両国が接近していることを明らかにしている。
その一方でベトナム国内外のベトナム人による民主化への
要求や運動、動きも活発になっていることを実例を
上げて示している。
ASEANが今後加盟国の「民主化」を一層進める方向を
打ち出しつつあることを示し、ベトナムの行方・その存在の
在り様が今後どうなるのかを見守るとしている。
純学術論文。
「饒舌の思想」(開高健著:筑摩書房」読了。
この1冊を読むのに2週間以上かかった。
この間、あまりに忙しく読書への気力がなかった。
午後3時、洗濯。部屋の掃除。この2週間で初めて
日曜日に掃除や読書をする時間が取れた。
夕方から「子どもの家」へ。こどもたちの中に若干の
問題が起こり、その実態と現状を「日曜日」に見に行った。
午後8時頃になっても半分くらいのこどもたちは
まだ帰宅していない。かなりの時間を「子どもの家」で
過ごしたが、問題点がいくつか見えてきた。
午後8時段階でも多くのこどもたちが勉強をしていた。自習。
ほとんどが女子。男子は遊びほうけているこどもたちが多い。
昨年、看護大学に入学した。3年後に看護婦になるという。
一生懸命勉強をしていた。
日曜日の夕方から数時間「子どもの家」で見た実態から
得られた情報を元に「子どもの家」の新たな問題の
解決の糸口がつかめた。
夕食は「ベトナム風ほか弁」(100円)
2010年03月13日
ベトナム事務所模様替え
快晴
午後5時30度。日中34度。
午前7時朝食。
今日は土曜日。大塚さんは船上生活者や生活困難な人々の
医療支援へ。
午前8時、ベトナム事務所員「全員集合」。
今日はベトナム事務所の「模様替え」。
日本語部とベトナム事務所を合併し、全員が
1室で仕事をすることにした。昨日のベトナム事務所員会議で
合意。今後、日本語教師も全員が「ベトナム事務所員」として
ベトナム事務所が関係している全ての仕事に関与することに
なった。
ベトナム事務所はその仕事の領域がかなり拡大している。
今後はベトナム事務所・日本語教師など全スタッフが
「総力戦」を展開することになった。
日本語部の机を全てベトナム事務所へ引っ越す。
ベトナム事務所内の机配置も全て変更する。
昨日のベトナム事務所員会議で机の位置等も協議し
全員一致で「ベトナム事務所の模様替え」「机配置」を
確認。
今までの日本語室は、応接室・会議室・休養室に。
ベトナム事務所に全員が入ることになった。
手が足りないのでリー君にも手伝ってもらう。
全スタッフが協力して「模様替え」が行われた。
ブライセンベトナム支社員にも若干手伝ってもらう。
こういう種類の仕事になると急に能力を発揮するリー親分。
自分でどんどん仕事を見つける。体を動かす仕事が大好きだ。
良い性格の若者である(・・・・・時もある?)
こうして全ベトナム事務所員で仕事をする時はいつも
話の中心にリー君がいる。人間が大好きな若者である。
憎めない性格。
みなで協力して仕事をすることは楽しいことである。
ただ、お金儲けしか考えていない人間にはこの種の
仕事の楽しみが分からない。
段々、ベトナム事務所の机が確定してくる。
模様替えの途中で小休止。
バオミン運営委員長が気を利かし、コーヒーや
冷たい飲み物を近くの店から届けさせた。
雑談しながら休憩。
模様替えが終わり、「ハイリーホテル」へ戻る。
いつもウオーキングをする道を通って帰る。
牛がボーッとして立っている。何となくうらやましく感じる。
午前1時半昼食。原田先生は仕事があり少し遅れる。
午後3時半、ベトナム事務所へ。今日は土曜日。午後は
休みである。バオミンさんとソン君が仕事をしていた。
日本語の先生の机。2列。
バオミン運営委員長の席が移動する。
日本語部室だった部屋は応接室・休憩室・日本語教育資料室に。
静岡大学フエ連絡事務所も応接室内に設置。
昨日、床屋に行きたい2万ドン(100円)欲しいと言って
私から5万ドン(250円)せしめたリー君だった。
今朝、「昨夜上げた5万ドンはどうなった?」と聞いてみた。
既に3万ドンが消えていた。昨夜、日本料理店終了後
飲んだことのこと。「床屋に行かないと許さない」と
注意する。午後、床屋に行って来た。2万ドン(100円)。
上尾の星野さんからもらった立教大学のTシャツを着ていた。
午前中のTシャツを着替えたようだ。洗濯をしたいるのか?
それとも一定期間着ていて捨てているのか?
午後4時、床屋へ。3万ドン(150円)。20分で終わる。
午後5時半、日本料理店へ。夕日がきれいに西の空から
沈もうとしていた。
午後5時半に日本料理店へ行くと既に13人の来客あり。
その後、次から次へと来客があり、こどもたちが
夕食を摂れないほどの賑わい。
結局午後8時に20人の来客となり、こどもたちの
疲労と夕食ができないこともあり、閉店を決定。
日本料理店「子どもの家」は、飽くまで「職業訓練センター」
である。その辺にある「利益追求」の日本料理店ではない。
今日は朝からベトナム事務所の「模様替え」の手伝いを
積極的にしてくれたリー君と大塚さん、原田先生と
夕食を食べながらの反省会。
ミットの炒め物
天ぷら
午後9時過ぎ、反省会を終わり「ハイリーホテル」へ
大塚さん、原田先生と帰宅。
2010年03月12日
ベトナム事務所員会議:M君日本へ帰国
快晴
久しぶりに太陽が出る。
気温25度。
午前7時朝食。原田先生はフエ高等師範大学の試験ため
早めに出勤。
茨城県「火炎樹の会」の方が定期的に日本料理店の
箸袋を贈ってくれている。
今回は3月3日のひな祭りにあわせて小型の雛人形を
送ってくれた。毎回のこととはいえ感謝。
午前8時、ベトナム事務所員会議。
ベトナム事務所の仕事の洗い出し。新しい担当者の分担、
新しい仕事の意義などについて協議。
午前11時半、昼食。
30分ほど昼寝。
午後1時、「ハイリーホテル」をでてベトナム事務所へ。
バオミンさんと一緒にフエ市人民委員会外務部長と
懇談。
フエ市・静岡市の協力友好活動について、フエ市とJASS
との一層の提携・協力の進め方についてなどを協議。
午後3時、ベトナム事務所で日本料理店副店長のTさんと
日本料理店のあり方などを協議。
大塚さん、バオミンさんも参加。
午後5時半、2週間のフエ体験を終えたM君が帰国。
日本料理店のこどもたちとお別れ。日本料理店の
こどもたち一人一人にM君は花束を贈呈した。
なかなか洒落たことをする若者である。
悪友のリー君と
日本料理店の皆さんと
いよいよフエ空港へ。日本料理店でこどもたちとお別れ。
日本料理店の大塚さんから激励の言葉
私とソン君でフエ空港まで見送る。
フエ空港着。午後7時半出発のハノイ便が1時間10分分遅れて
8時40分発となる。事前にリコンファームもし出発時刻も
確認していたのだが、何ら理由を示さず、70分の遅延。
フエ空港の外にある簡易レストランで40分ほど休む。
早めにチェックイン。
フエ空港でM君を見送る。また機会があったら来年の
春にでも着て欲しい。無事の帰国を祈る。
M君を見送り日本料理店へ。午後7時過ぎ、夕食の名の
フダ生ビールを飲む。
今日は8人の来客。オランダのお客さんが、こどもたちの
ことについて質問。
午後9時閉店。
「ハイリーホテル」戻る。
『社民党党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相は12日の参院予算委員会で、自衛隊を合憲と認める考えを示した。自民党の佐藤正久氏が「合憲と認めるか」とただしたのに対して、「そうです」と認めた。(毎日新聞)』そうだ。
福島党首は弁護士である。憲法前文と9条を普通に
読めば自衛隊が憲法違反であることは事実である。
自衛力が必要かどうかとは別問題として、憲法を
読めば誰でも憲法に合致していない存在である
自衛隊の認識はある。
少数政党である社民党が連立与党に入ると
弁護士である福島党首が憲法を踏みにじる認識に
至るのである。恐ろしいことである。
戦前も『現実主義』ということばが流行った。
理論ではおかしいが、現実がそうなのだから
理論をまげても現実に追随するという考えが
アジア・太平洋戦争を敗戦にまで導いた。
途中で誰かが、「戦争そのものが罪悪だ」との認識を
もったら戦争を防ぐ小さな力にはなったはず。
今日、新しい「現実主義」が登場してきた。
福島党首の自衛隊容認。これは旧社会党の
「自衛隊違憲合法論」を更に右転落させたものである。
1980年の社公合意を厳しく批判した某革新政党も
今日では「自衛隊違憲活用論」を展開するまでに
至っている。
自衛隊は真っ当に日本国憲法の前文と第9条を読めば
憲法違反の存在であることは、客観的事実である。
全国各地に「9条の会」が組織されている。
自民党や保守勢力の唱える「国民固有の自衛権がある」
「夜中に強盗が入ったときに武器がなければやられてしまう論」
に反対しているが、同時に福島党首の「自衛隊合憲論」
「自衛隊違憲合法論」や某革新政党の「自衛隊違憲活用論」
も9条を徹底して否定していることを批判すべきである。
自民党や保守勢力への非難だけでなく、旧革新勢力と
言われる人々の「解釈改憲論」もまた、批判し、文字通り
憲法9条を守るべきである。
2010年03月11日
BIMH君退所式:M君送別会
少し雨・後曇り 気温20度。寒い
午前7時朝食。
マカロニスープ
午前8時から12時まで刺繍工場で打ち合わせ
午後2時、「子どもの家」で「BINH(ビン)」君の退所式。
1999年に「子どもの家」へ入所。
クアンチ省から弟のアン君と出てきて、フエ駅で一週間
寝ていた。近所のおばさんが、ベトナム事務所へ連れてきた。
私が対応し、朝食を摂っていなかったので、近所の
ブンボー屋からブンボーを取って食べさせたのが最初の
出会いであった。
それから11年。ビン君は21才になった。
今日はクアンビン省にいる67才の「お祖父さん」が「子どもの家」に
来て退所式に立ち会う。
父親は精神疾患。母親はホーチミン市の更に南で
魚取りの手伝いをしている。
ビン君の従兄弟がホーチミン市でミシン工場を経営している。
両親と祖父の希望、そして本人の要望があり、ホーチミン市
のミシン縫製工場で従兄弟がビン君を受け入れるとのことで
退所が決まった。
ビン君の退所の意思を確認する。「21才になり、自分で
働き自立したい。また親戚で生活したい」との意思を表明。
退所式を行う。
ロック寮長が「退所認定書」を読みあげる。
祖父が家族を代表して「退所承諾書」にサイン。
「子どもの家」運営委員長のセンさんが、退所認定書にサイン。
退所式を済ませ記念撮影。
11年間の「子どもの家」での生活を終える。
弟のアン君は中学3年生。今年の夏に高校を受験する。
「子どもの家」で高校受験したいとの希望があり弟は
「子どもの家」に残留する。
祖父と孫のビン君。
祖父とクアンビン省の実家へ帰り、その後ホーチミン市へ行く。
いよいよお別れ。ビン君は私に「11年間お世話様になりました。
この恩は忘れません」と挨拶をして退所していった。
午後5時、日本料理店へ。
北海道の菊先生の紹介で「子どもの家」を視察した
お二人。体調を崩し、おかゆを日本料理店で食べる。
午後6時。明日帰国するM君の送別会。
近くの美味しい「ベトナム家庭料理店」でM君の送別会を行う。
参加者は日本料理店のこどもたち、大塚さん、ミンさん、
原田先生。
今日はM君の送別会があるので日本料理店は閉店。
リー君は閉店を見越して既にアルコールが入っている。
日本料理店のこどもたち一人一人から送別の記念品贈呈。
バオミン委員長の音頭でM君の前途を祝し乾杯。
リー君とは怪しい所へ連れて行かれた「社会勉強」をした。
今日のベトナム料理は本当に美味しい。一般家庭料理なので
値段も適正。
鳥肉
M君が日本料理店のこどもたちなどに「お礼の挨拶」。
日本料理店のこどもたち一人一人がM君へ激励の挨拶。
リー君。人生の幸せと健康、大学受験の成功を祈ると発言。
グエットさん。
M君と一緒に日本料理店の仕事をして楽しかった。
健康で大学受験の成功を祈ると。
TUOIさん
2週間日本料理店の厨房で一緒に仕事がで来て楽しかった。
日本へ帰っても日本料理店を忘れないで欲しい。
ヒエウ
健康に気をつけて。
午後8時半、M君の送別会終了。
2010年03月10日
急激な速さで「冬」に戻る
終日雨 気温15度。 湿度90%
寒い。気温が20数度減少。体がついてゆかない。
フエに来て17年。3月にこんなに寒くなったのは初めて。
世界の異常気象のベトナム版か?
午前7時朝食。
朝食後、在越ベトナム大使館との話し合い。
関係メールの受信・送信。
午前11時半昼食。とにかく今日は寒い。フエの真冬の
服装となった。
午後12時半から1時間昼寝。
その後、帯広の支援者へFAX送信。
バオミンさんと重要な問題を電話で話し合う。
刺繍関連の問題で東京のマルタカ社長と何度か電話で
話し合う。
訪日する「子どもの家」のこどものビザ取得問題、
東京での活動、帯広での活動などの準備。国内飛行機便
の予約を依頼する。
午後5時半、日本料理店で夕食。
ベトナムへ帰国して初めて日本料理店のこどもたちと
夕食を摂る。
今日は日本人2人、欧米系7人の来店。
午後9時過ぎ閉店。
日本料理店のこどもたちとM君の記念撮影
M君は日本料理店のこどもたちとすっかり友達になってしまった。
特に元店長のリー君とは刎頚(ふんけい)の仲。
午後9時半、「ハイリーホテル」へ。
===========================
2010年3月9日「朝日新聞」の記事である。
ベトナムの「子どもの家」を支える会「静岡の会」の
中学生だった笠井哲也君が朝日新聞の記者となり書いた
記事である。
中学から何度もベトナム「子どもの家」へ訪問している。
またJASS静岡の会の活動に参加し、様々な取り組みを
行っている。国連の子どもの権利条約の10周年の
見直しの民間報告団としてジュネーブの国連本部へ
こどもたちの意見をまとめて提出したりしている。
今日は東京大空襲65周年。
他社の新聞はいつもの東京大空襲で家族が死んだ、
知り合いが死んで大変だったと言った基調の記事。
(インターネットで読める範囲だが・・・)
3月9日付けの朝日新聞の「笠井哲也」署名の記事は
一味違ったものだった。
65年前に東京大空襲で親を失くしたこどもたちを
「少年の家」を作り助けた」奥村政吉さんの活動を
報道している。私たちが行っている活動を既に
65年前に行っていた「豊村政吉」さんという先人がいたという
貴重な記事である。
笠井哲也君はJASS静岡の会事務局長の
笠井先生のお子さん。私たちの「子どもの家」支援活動に
中学から長年関わってきた。そうした経験があるので
他社の新聞とかなり味わいの違う記事が書けるのである。
一読の価値のある記事である。
JASS活動17年。かつては中学生だった若者が社会にでて
JASS活動の精神を体現し、このような記事が書けるように
なったことに私自身が自信と誇りをもてた。
「一粒の種」が更に社会に広がり、様々な分野で活躍する
若者が多く輩出して欲しい。
笠井哲也君の成長と活躍を祈る。
2010年03月09日
雨 気温が急激に下がる
終日雨
午後10時の気温18度。数日前までは38度だった。
一気に20度も気温が下がる。寒い。
午前6時起床。昨日の酔っ払い警察官との交通事故で
傷をうけた左手が痛い。
大学時代の同級生のTさん(針灸鍼灸師)が治療法を
メールしてくれる。助かる。
初日は冷やし、その後温めるとのこと。
その通りに「冷湿布」をし、夜、お灸を据える。
夜、かなり楽になる。打撲痛。
午前7時朝食。
午前中、マルタカの社長とSKYPEで1時間打ち合わせ。
刺繍の件。
昼食。
午後12時から1時間、昼寝。
この2ヶ月ほどほとんど休みなく仕事をしている。疲労困憊。
とにかく体を休めたいという欲求。読書の意欲なし。
午後3時、雨の中、ベトナム事務所へ。
バオミンさんと刺繍の件で詳しく打ち合わせ。
ハノイの日本大使館に「子どもの家」のこどもの
訪日ビザを申請。インタビューをするのでハノイの
大使館に出頭しろとのこと。
あまりに馬鹿馬鹿しいので、大使館に電話で抗議。
17年間、数十人の「子どもの家」のこどもたちやスタッフ、
関係者を訪日させ、日越親善交流のために努力している
のに、今回訪日する「子どもの家」のこどもが怪しいの
のでハノイで顔を見て話を聞きたいとのこと。
今まで何度も訪日申請をしていてハノイまで出て来いなどという
馬鹿な話をした日本大使館のビザ係りはいない。
フエからハノイまでの往復飛行機代は2万円。
一般労働者の2ヶ月分。そんな話をビザ担当のY氏にしたが、
「ダナンでもフエでも全員にハノイへ来てもらっている」と
権力者の手先振りを披露。「子どもの家」のこどもたちのような
貧乏人が2万円をだしてわざわざハノイまで行って面接し
訪日するなどできるわけがない。常軌を逸した在越日本大使館
の行為である。電話で厳重に抗議。在越大使館のHPに
訪日ビザ申請の要項が書いてあるが、ハノイまで行って
面接をするなどということは書いていない。
ビザ担当者のY氏の個人的な趣向である。ビザ申請は
HPなどで公的に広報しだれでも同じ様な条件で行われなければ
ならない。在越日本大使館のビザ担当のY氏の個人的な嗜好に
よるビザ申請に厳重に抗議する。
今日、ハノイの知り合いのベトナム人に「子どもの家」のこどもの
ビザ申請書を渡し、在越日本大使館に申請書を提出してもらった。
ところが、在越日本大使館は受け取りを「拒否」した。
理由は、「子どもの家」のこどもの訪日費用の支出者が書かれて
いないという「難癖」をつけてきた。
訪日理由書、招待状など3通の書類に「「子どもの家」の
こどもの訪日費用は全額JASSが負担する」と明記している
申請書を大使館に渡してあるのだ。
大使館の「無能な受付スタッフ」がJASS日本の山西
副代表の書いた招待状などの書類を全く読まずに「恣意的」
に受け取りを拒否するという暴挙に出た。
在越日本大使館の恣意的・無能なビザ業務を厳しく
糾弾したい。ベトナム人を頭から疑い、不法入国者に
なるのでは?の思いから審査を厳しくするのは理解できるが、
その前に大使館自体の審査の無能を自己批判すべきでる。
訪日者の費用弁済は全額JASSが行うと3つの書類に明記して
いるのに、その文書さえ読まずに、のっけから受付を拒否した
在越日本大使館のYビザ担当者の無責任体質、私たちの税金で
生活している自らの身分の無理解に反省を求めたい。
ベトナム人に厳しくする以前に「Yさん、あなた自身の仕事に
厳しくしなさい」と納税者として厳しく注文をしたい。
ベトナム人の書いた申請書を読まずに受け取りを「拒否」しながら、
ベトナム人は信用できないのでハノイまで出て来いという
思いあがった在越日本大使館員の態度に幻滅を感ずる。
外務省設置法には、海外との友好・交流という文言がある。
私たちは文字通り17年間かけて行ってきた。
私は敢えて言いたい。
1993年にフエに来た私が3年間、在留届けが出せなかった。
外務省設置法では、在外公館は在留日本人保護が第1の
使命であると明記されている。
1993年9月にフエに来た私はハノイの大使館と
ホーチミン市の総領事館の争いで、フエが大使館管轄か
総領事館管轄かで両者がもめ、結局3年間、フエにいる
私が大使館に在留日本人登録をするのか、ホーチミン市
の総領事館にするのかが、外務省内部の争いで
決まらなく在留日本人登録ができなかったことを
現在のビザ担当のY氏は総括すべきである。
「大使館の決まり」などと連発するが、あなたたちは、
自分たちの都合であれば、法律さえ無視しているの
である。国民の権利である「在外公館から邦人保護」を
受ける権利を大使館と総領事館の争いのために
侵害された3年間の経験がある。
ビザ担当のY氏へ告ぐ。決まりとかなんとか言っているが
あなたたちは、自分の都合であれば、法律さえ蹂躙して
していることを自己批判できますか?
人のことを言う前に自らが決まりを守らなかった過去の
精算を今に生かし、意味のないお役人主義をこそ精算し、
日越友好の先頭にあなたは立つべきである。
本来なら実名を挙げてあなたの非常識な嗜好を批判したい。
公務員は国民から批判される義務をもつのである。
午後7時。地球の歩き方3班の最後の晩餐会。
ツアーリーダーがソン君の結婚を祝う祝辞を述べる。
ツアーリーダーよりソン君に結婚の寄せ書きが贈られる。
晩餐会が始まる。最初にグエットさん・リー君のメニュー紹介。
添乗員より今晩の飲み物は「飲み放題」との提案あり。
男性代表の乾杯の音頭。
こどもたちが作った今晩の夕食
午後8時45分まで会食。
午後8時50分。日本料理店研修のこどもたちの紹介。
その後、全員で記念写真
午後9時半、「ハイリーホテル」へ戻る。
2010年03月08日
地球の歩き方3班ナムドン山岳少数民族交流へ
朝小雨
気温が少し下がり、肌寒さを感じる。
午前7時朝食。
午前8時、ベトナム事務所へ。
午前9時半、地球の歩き方3班が投宿しているズイタンホテルへ。
今日は地球の歩き方3班が「ナムドン山岳地帯」のカトゥー族との
交流へ。
ナムドン山岳地帯へのツアーについての諸注意。
今日の添乗は、バオミンさん・リー君・M君・私の4人。
午前10時、ナムドン山岳地帯へ出発。
現在ナムドン山岳地帯は大きな道路拡張工事が行われている。
午前11時半、ナムドン山岳地帯の中腹にあるレストランへ到着。
昼食を摂る。
午後1時、ナムドン山岳地帯の「トゥオン・ロー村」へ。
既に村人が総出で歓迎体勢に入っていた。
今日は3月8日。「世界婦人デー」。学校は1時間程度で
下校となり、こどもたちもたくさん来ていた。
国際婦人デーなので女性の参加者には、花束が贈呈された。
支援物資を持ってツアー参加者は交流会場へ。
交流会場にはたくさんのこどもたちが集まっていた。
はじめにトゥオン・ロー村の村長さんと文化部長の挨拶。
日本人とカトゥー族の皆さんが一緒に座り交流会が始まる。
こどもたちの目が澄んで見えるのは何故なのだろうか?
日本側代表団長へ村長さんから村特産の蜂蜜が贈呈される。
カトゥー族の皆さんの歓迎の踊り
お返しの日本側の出し物(歌)
両者の出し物が終わり、一緒にカトゥー族の伝統の踊りを
おどる。
村の最長老(80歳)が水牛の角笛を吹いてくれた。
現在、カトゥー族ではこの長老しか吹けないとのこと。
文化交流会終了後、庭に出て綱引き。
全ての試合に日本側は敗北する。
その後、交流会場に戻り、カトゥー族のもてなしを受ける。
カトゥー族の手作りの焼酎を飲む。リー君は19杯のんだとのこと。
前回は20杯なので1杯少なかったと悔やんでいる。
19杯焼酎を飲んだ後、歌を歌う。リー君恒例の「失恋」の歌。
彼に取っても現在進行中の心境である。
午後3時半、全ての交流会が終了し、フエへ帰る。
全員の記念撮影。
午後5時半、フエに帰着。
午後7時から私、添乗員、原田先生、Mベトナム事務所員の
4人で日本食を堪能する。
午後9時過ぎ閉会。
電動自転車で「ハイリーホテル」へ帰宅する途中、
交通事故に遭う。私が低速で走っていると3人の
人間が突然、電動バイクに当たってくる。
私が右側の端をゆっくりと走っていると「3人の酔っ払い」
が私の右手の飲み屋から「泥酔状態」でふらふらと
道路に出てきて、私の右側から電動バイクに当たる。
私は左側に倒れ、左手のひじと肩を強打。
左手にしていた時計を破損する。
飲み屋の対面には、フエ省警察の消防本部がある。
3人は警官の服装をしていた。飲み屋で飲んで
対面の消防警察本部に帰る途中だった。
3人の警察官と話をしようとしたら、3人が逃げていく。
飲み屋の女将(おかみ)が馴染みの3人の警察官を
裏口からどこかへ逃がしてしまい、
私に「あなたは外国人。交通事故は自分が悪い」と暴言。
たくさんの「見物客」に取り囲まれる。
見物人のベトナム人は、「警官を相手にケンカしても
しかたがない。あなた、家へ帰りなさい」と忠告する人多し。
私の方は、ゆっくりしたスピードで道路の右端を走って
いたので特に問題はない。
交通事故についてどちらに責任があるかは、お互いの
話し合いが必要。私は交通ルールを守り低速で走っていた。
3人の警察官は酔っ払って何も見ないで私の電動バイクに
突然ぶつかってきた。
結局、交通事故の相手の3人の警察官(制服を着ていた)
はにげてしまった。ということは、自らに非があることを
自己暴露しているようなものである。
回りの見物客は「相手は警察官だ。文句を言ってもしかたがない。
帰りなさい」と何人もの人が来て「善意」の忠告をする。
私はこうした時こそ、横暴な警察、独裁権力の手先と
なって庶民をいじめている警察権力に痛打を与えたいという
気持ちがムラムラと沸いてきた。
直ぐにバオミンさんに電話。警察署長に連絡して欲しいと。
交通事故のあった場所は、フエ省警察の正門前。
バオミンさんは、フエ省警察消防本部長(この建物の最高責任者)
に電話。10分後にバオミンさんが、15分後に本部長が来る。
既に午後10時を過ぎている。
回りには、多数の見物客がいる。
消防警察本部長は一度消防警察本部建物に入る。
しばらくして逃げた三人を連行してくる。
3人が私に謝罪する。私は謝罪を受け入れる。
多くの一般庶民の見ている中で3人の警察官は
私に謝罪をした。彼らは自分たちに非があることを承知して
いたので逃走したのである。
ベトナムの一般の見物者は一外国人がフエ県消防警察本部長を
夜中の10時に呼び出すことなどできないとたかを括っていた。
しかし実際には、本部長(フエ県消防警察署の最高責任者)が
やってきて、問題を処理し、3人の警察官は私に謝罪した。
フエ省消防警察本部長は私のことを良く知っている。
悲しいことである。3人の警官はにげる必要はなく、
私と話し合えばよかったのだ。また、居酒屋の女将や
飲み屋で飲んでいたベトナム人は「外国人だから警察に
何を言っても通じる訳がない。適当に
扱って帰してしまえばよい」とこれもたかを括っていた。
私はこうしたやり方が大嫌いだ。
結局、「ハイリーホテル」へ帰ったのは11時。
バオミンさんが心配して「ハイリーホテル」まで送ってくれた。
バオミンさんに感謝。
体中が打撲で痛い。左手ひじにかなりの出血。
左肩がかなり痛い。
消毒し化膿止めを塗る。
2010年03月07日
地球の歩き方スタディーツアー3班「子どもの家」交流
快晴
今日は日曜日。「ハイリーホテル」では朝食がない。
午前8時過ぎ、朝食を摂らず「子どもの家」へ。
地球の歩き方3班が「子どもの家」で交流。
ベトナムの伝統的な遊びをこどもたちと行う。
体に風船をつけて割りあう遊び
風船競技の後、「綱引き」。日越に分かれ寮母さんも入っての
大綱引き大会となった。
その後、こどもたちと交流
午前中の交流を終わり、一度ホテルへ戻る。
私は朝食を摂っていなかったので途中で「フォー」
を食べる。先日まで2万ドンだったが今日は2万2千ドンに
値上がりしていた。ベトナムのインフレは急速に進んでいる。
午後12時過ぎから1時間昼寝。
午後2時、地球の歩き方3班の泊まっているホテルへ。
ソン君がシクロで「子どもの家」へ行くにあたっての諸注意を
行う。
ベトナム事務所のアンさんも参加。
シクロで「子どもの家」まで20分。
「子どもの家」へ到着
午後2時半「子どもの家」へ到着。到着後、音楽室で
こどもたちに「幸せなら手をたたこう」の歌を教え、
一緒に歌う。
皆で「幸せなら手をたたこう」を歌う
歌の交流会を終え、砂絵つくりを行う。
添乗員さんとベトナム事務所員のM君
午後5時、「子どもの家」で夕食。
午後6時、ホテルへ帰る。その後、自由行動。
私は添乗員さんと今後のスタディーツアーについて食事を
しながら協議。午後9時まで。
2010年03月06日
地球の歩き方3班講演会等
快晴
気温35度
午前7時朝食。
朝食後、船上生活者の医療支援をしている「オアシスの会」
の大塚さんは、新たな支援場所に医療センター所長と
一緒に行く。
午前7時半、ベトナム事務所へ。会場整理。
午前8時、地球の歩き方3班の皆さんがベトナム事務所へ。
ベトナム事務所員紹介。
原田先生の司会でベトナム事務所紹介が始まる。
ベトナム事務所員の自己紹介
ピースインツアーの添乗員さんとソン君。
23人のスタディーツアー参加者
5日間のフエでの生活上の諸注意を原田先生が話す。
飲み水、帽子着用、訪問先の人たちとの交流とその後の
連絡の件・・・・。
午前8時半過ぎ、バスで「子どもの家」へ。
「子どもの家」ではセン運営委員長の歓迎の言葉
その後、ソン君が23人のスタディーツアー参加者に
「子どもの家」の諸施設の案内を行う。
スタディーツアー「子どもの家」訪問・交流の添乗とお世話を
している添乗員さんとベトナム事務所のM君。
午前9時から1時間半、講演会を行う。
①ベトナムに来た経過
②17年間の体験から出た海外支援・国際支援論
③人生は人との出会い
午前10時半から「子どもの家」と文化交流。
はじめにセン運営委員長の挨拶
「子どもの家」のこどもたちの出し物
日本側の出し物
午後11時過ぎ文化交流会を終わる。
昼食会場のレストランへ。
私は「ワンタンメン」を頼む。
スタディーツアーの皆さんは「かたヤキソバ」。
ベトナム事務所スタッフはそれぞれの好みの昼食を
注文する
午後12時半、「ハイリーホテル」へ戻る。
1時間ほど昼寝。
その後、ベトナム事務所で諸会議。
この間、バオミンさんがマルタカ社長さんを
刺繍工場へ案内。今回マルタカ社長さんのフエ訪問の
目的は刺繍工場の視察。今日は1日、バオミンさんが
案内して刺繍工場の視察。
午後5時過ぎ、マルタカ社長さんたちがフエ空港へ。
私とバオミンさんで見送り。
2010年03月05日
マルタカ社長と同行:地球の歩き方3班出迎え
快晴
気温38度
午前7時朝食。家族旅行から原田先生が戻り
通常の朝食となる。
午前8時、「子どもの家」刺繍みやげ物店へ。
マルタカ社長と訪問する。
その後フエ市内の刺繍こ工場を訪問。打ち合わせ
午前11時半、昼食。皆さんと一緒に「チャーハン」を食べる。
時間がないのでベトナム事務所で30分ほど休息。
その後、フエ市内の工場視察・懇談
午後5時。地球の歩き方3班出迎えにフエ空港へ行く。
ソン君とベトナム事務所手伝いのM君の3人で。
M君は今日自転車で王宮を何回か回ったそうだ。
気温38度。真夏の日差し。真っ白い肌が「赤く」やけどを
したように焼けていた。
ソン君・M君の3人でフエ空港着。午後6時10分に無事、
地球の歩き方の皆さんはフエ空港へ到着。
ソン君が地球の歩き方の皆さんに諸注意をする。
全員で記念撮影。地球の歩き方参加者23人。添乗員1名。
JASSベトナム事務所3名。
バスの中でソン君・私、ベトナム事務所員のM君の自己紹介。
ソン君が車中で様々な説明。
ホテルへ行く途中、フォー専門店でフォー(米うどん)を
食べる。2杯食べる参加者もいる。
ホテル到着。添乗員さんがホテルでの生活の諸注意を
行う。
ソン君も一人の「戦力」としてその存在感を増してきた。
2010年03月04日
マルタカ社長さんと刺繍・縫製工場視察;学生の訪問者と懇談
快晴 真夏
午前7時朝食。
午前8時過ぎ、バオミンさん・マルタカ社長さんなどと
刺繍工場視察。
3時間の視察と懇談を終えて、「チャオバンカン」の店へ。
●小山のチャオバンカン(唐辛子少々)
●バオミンさんのチャオバンカン(唐辛子少々:バオミンさん談)
午後12時半、「ハイリーホテル」へ戻る。
1時間ほど昼寝。
午後2時45分、フォンザンホテルへ。
マルタカ社長さん一同と縫製工場へ。
午後5時過ぎまで縫製工場社長と打ち合わせ
午後5時半、ベトナム事務所へ。大学生の訪問者が
私と話したいとのこと。1時間半程、ベトナム事務所で
話し合う。
その後、日本料理店来客の方と1時間ほど話す。
結局夕食を摂り損なう。
午後9時、「ハイリーホテル」へ帰る。
長い一日。
1971年4月1日、私は小学校の教員になった。
その時2年間教えた後藤君から37年振りにメールが
あった。懐かしい教え子が元気に活躍している様子を
知り、「教師冥利」につきる。後藤君の幸せを祈る。
野党として民主党の「独裁」を厳しく追及して欲しい
自由民主党に厳しく抗議する。
報道によれば、自民党憲法改正推進本部は3月4日まとめた
論点整理で徴兵制の検討を示唆するかのような表現があった
そうだ。
「国民の義務について」の項目で、ドイツなどで、国民の兵役義務
とともに良心的兵役拒否の権利が定められていると指摘。
その上で「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民
との関係などについて、さらに詰めた検討を行う必要がある」と
徴兵制復活と捉えられる表現を記述している。
とんでもないことである。
徴兵制を復活したいのなら、自民党の爺さんたちがまずもって
自衛隊に体験入隊するか、自衛隊にでも入ったらどうなのか?
「二度と、再び、日本の若者を戦争で殺すことは絶対に許せない」。
自民党も役者がいなくなった。選挙に負け、国会の予算委員会を
テレビで見たが、「与党ボケ」していて、民主党を攻撃する
能力がない。この際、唯一の万年野党の日本共産党から
政府への攻撃の仕方を学んだらどうなのだろうか?
万年与党の自民党は政府与党を攻撃する能力がない。
民主主義国家では、野党の批判的態度が非常に重要である。
政府の問題点を具体的に徹底追求する能力が求められている。
その点では日本共産党の方が数段上である。戦前からの
「万年野党」で年季が入っている。
そんな自民党が「徴兵制復活」を匂わせる提言・整理を
するのは、現在の自分の置かれている位置が分からない
人間のすること。一言「ばか者」。
一部には『今時の若者を徴兵しても役に立たない」などと
うがった味方をしている人もいるが、問題はそんな表面的な
ものではない。
アメリカの世界戦略。普天間基地問題もアメリカの世界戦略との
抗争がその基本にある。
イラク戦争には、現在14万人の米兵が参戦している。
既に5000人(民間警備会社も含む)以上が死亡している。
国内にはイラク参戦反対意見が多数を占めている。
アフガンも同様である。ベトナム戦争でアメリカが撤退した
大きな理由も米兵の死者数の激増である。
世界の憲兵として存在しようとするアメリカに取っては、
世界のどこで何が起こってもいち早く駆けつける世界戦略を
作っている。同時に米兵の死者がでないような高度の
戦争兵器を開発し、「アメリカ人以外の国民」が戦争に
参加する世界体制を作ることが、現在のアメリカの
世界戦略の基本と見た。
自民党の「徴兵制提言」は、そうしたアメリカの世界戦略
(アメリカ人以外の国民を戦争に参加させる)に沿った
提言であることは、推察できる。ばか者と簡単にいえない
深い背景があるように思われる。
今回は「徴兵制」を匂わす「アドバルーン」をあげ、
国民・マスコミの反応をみていると言えよう。
2010年03月03日
ベトナム事務所打ち合わせ:フエ高等師範大学長懇談:地球の歩き方晩餐会
晴天
気温38度
朝焼け
午前7時朝食。
原田先生は家族とホイアンへ。
午前9時、バオミンさん・ハンさん・フーン先生と4人で
今後のベトナム事務所運営について協議。
日本料理店の前の喫茶店にリー君とM君がいた。
リー君が兄貴風を吹かせ、コーヒーをご馳走してそうだ。
なななか気のつく男である。
その後、昼食の弁当を買う場所なども教えてあげたそうだ。
午前11時過ぎまでベトナム事務所で話し合い。
午前11時半。昼食。
午前12時から1時間ほど昼寝。暑いのとこの1ヶ月間の
活動の疲れで熟睡、
午後3時、フエ高等師範大学を訪問。学長と懇談。
フエ高等師範大学でソバ打ち大会を行うことにした。
フエ高等師範大学の帰り、数年前のTBSテレビで取材を
受け「子どもの家」に入所したホンさんがいた。
事情があり「子どもの家」に入所したが、数ヵ月後に
父親の元へ帰ってしまった。妹は今でも「子どもの家」
で通学している。中学2年生。
ホンさんはフエ高等師範大学の図書館司書学科に通学している
とのこと。元気に生活しているホンさんを見て安心した。
午後6時10分、東京本所マルタカの社長さんと甥御さんが
フエ空港に到着。出迎えにいく。
ホテルへ行く途中でフォーを食べる。
午後10時過ぎ帰宅。
2010年03月02日
地球の歩き方スタディーツアー2班晩さん会
快晴 気温32度
午前6時起床。
「ハイリーホテル」前に建築中の裁判所も不在中にかなり建築が
進む。一部の「子どもの家」関係者がここでお世話にならないことを
祈る。
午前7時朝食。
キャッサバいもの麺 唐辛子を入れると美味しい
午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。バオミンさんと若干打ち合わせ
午前8時半、原田先生のご家族と関係者来訪。
ベトナム事務所員を紹介、挨拶。
原田先生のお母さんからベトナム事務所へお土産を頂く。
その後、じばらくバオミンさんと当面の課題と打ち合わせ
「ハイリーホテル」へ戻る。洗濯。
明日から来訪するマルタカの社長さんのフエでの活動
がうまく進むよう段取りを立てる。関係者に連絡。
当面のスタディーツアーについて諸準備。
午前11時半、昼食。
原田先生はご家族と昼食。
午後12時半、読書「饒舌の思想」(開高健著)
60年安保の随筆
昼寝。
午後3時、洗濯が完了するが乾燥が不十分。
再度、乾燥機をかける。
訪日するAさん関連の諸準備。
昨日からの20数通のメールに目を通す。
10数通のメールの返信。
午後6時、日本料理店へ。
今日は地球の歩き方スタディーツアーの最後の夕食会。
日本料理店厨房では総出で夕食会の準備。
少し体調を崩したヒエウさんも「ヒエピタ」を貼って奮闘。
ベトナム事務所手伝いのM君も盛り付けを手伝う。
午後6時半、20人の地球の歩き方スタディーツアー参加者が
日本料理店へ来訪。
接客主任のグエットさんと元店長のリー君が
今晩の夕食会メニューを紹介。
バオミンさんの司会、リーダー格の男子学生の乾杯の音頭で
開会。
会食
ベトナム事務所員(小山・バオミン・アン・ソン・M君)と
ボランティアの話などをながら会食。
20歳未満の飲酒は厳しく禁止する。万一20歳未満の
飲酒が発覚した場合はその場で退席措置を取る。
20歳未満の学生さんたちは、すいか、パイナッップル
などの生ジュースを楽しむ。
午後7時半、晩さん会もお開きとなる。
日本料理店スタッフの紹介。
左から 調理主任TUOI (トゥオイ)、 接客主任NGUYET(グエット)、
在庫管理主任TRAN(チャン)、 調理 HIEU(ヒエン) さん
LY君と日本料理の指導者「オアシスの会」代表の大塚さん
多くの参加者が「アオザイ」を作る。
その後、日本料理店片づけを終え、近くのレストランで
リー君と「反省会」。
リー君はアヒル、牛肉、豚肉、鶏肉と勝手にどんどん注文
してしまう。
そのうち、友達も呼び出して宴会となる。
午後10時まで付き合ったが、私とM君は疲労の色が
濃くなり、退席。リー君と友達はその後、いつまで飲んだか
は分からないが、懇談を続けた模様。
午後10時過ぎ、「ハイリーホテル」帰着。
「ハイリーホテル」の玄関のドアのカギが開かない。
申し訳なかったが、大塚さんに電話をして内側から
開けてもらう。
長い1日が終わる。
2010年03月01日
ナムドン山岳地帯へ:原田先生ご家族夕食会
快晴
気温30度
午前5時起床。昨日の日記を書く。
午前7時朝食。
3週間ぶりに「ハイリーホテル」で朝食。
私の一番好きな「ブンボー」。
午前8時半、ベトナム事務所へ。ベトナム事務所の皆さんに
フエ帰国の挨拶。その後、バオミンさんといくつかの
重要な問題について意思統一。
午前9時40分、ベトナム事務所へ大型バス到来。
地球の歩き方スタディーツアー2班の皆さんの泊まっている
ホテルへ。
20人の地球の歩き方スタディーツアー参加者とベトナム事務所員
(私・バオミン・リー・M君)でナムドン山岳地帯へ。
少数民族カトゥー族の皆さんとの交流へ。
バス車内で自己紹介する自称「ナムドン専門家」のリー君。
自己紹介。今日は朝からトーンが高い。
今日もうやる気満々で午前7時半からベトナム事務所で
出発を待っていた。自主的に全員分のミネラルウオーター、
それを冷やす氷入りのクーラーボックス、支援物資などを
準備していた。
バスで1時間45分。ナムドン郡の中心地に到着。
昼食を摂る。
午後1時、中心地を出発し、ナムドン郡11村の一つ「トゥオン・ロー村」
へ。
バオミンJASSベトナム委員長・リー(自称:ナムドン専門家)を
先頭に入村。村人の歓迎の音楽。
全員で支援物資(衣類・食料品・・・・)を持っていく。
気温は既に30度を超えている。真夏の太陽。
村長さんと文化部長さんの歓迎の挨拶。村長さんは55歳。
交流会場に集まったカトゥー族のこどもたち。
全教女性部などが「トゥオンロー小学校」の生徒全員に
奨学金を支給している。
支援物資贈呈
交流会が始まる。はじめにカトゥー族のこどもたち、若者の
歓迎の踊り。
私たちとの交流は既に10年間続いている。
その間に既に忘れ去られた民族の歌や踊りを数多く
発掘し、カトゥー族のこどもたちや若者に伝えられている。
私たちのカトゥー族訪問・交流はカトゥー族の民族的な
伝統、文化を彫り起こし、少数民族の「ベトナム人化政策」
が進められ、民族言語・文化が消滅しつつある少数民族
の文化の堀り起こしと継承に一役買っている。
私たちを歓迎するためにカトゥー族は70歳、80歳の
村の長老の皆さんに古い記憶を呼び覚ましてもらい、
昔昔のこどもたち時代に大人たちが踊っていたり歌って
いた歌を現代に蘇らす取り組みを進めている。
トゥオンロー村はナムドン山岳地帯の中腹にあり。どこまでも
水田が続き、のどかな農村地帯である。
30度を越す熱暑の中、水田の緑を通ってきた風は
緑の香りと柔らな涼しさを運んで来た。
続いて日本側の出し物「散歩」を歌う。
村長さんと記念撮影
カトゥー族の若者と一緒に民族の踊りを踊り交流を深める
80歳の長老も踊りに参加。民族楽器を演奏しながら
交流する。
その後、カトゥー族のこどもたち・若者と交流を深める
縄跳び
綱引き
折り紙
最後に宴会となる
カトゥー族手作りの焼酎(45度)が振舞われる。
20歳未満の飲酒は厳しく戒める。
親密な仲となっているリー君とカトゥー族文化部長。
この二人が焼酎を飲み、段々とハイ状態になっていく。
二人の歌が進んでいく中で宴会は徐々に盛り上がってくる。
リー君は小グラスで20杯の焼酎を飲んだ。
歌を歌いだす。失恋の歌。実生活を反映したものか?
雨が降り出してきた。
午後3時半。交流会を終わり、帰宅の徒へ。
交流会場前で記念撮影
カトゥー族の皆さんとの楽しい交流会を終え、フエ市内へ。
既に夕日が沈みかけていた。
午後5時半。宿泊ホテルへ到着。地球の歩き方の皆さんは
今夜は自由に町で食事をする日程となっている。
既に渡してある「推薦レストラン」の地図を片手にそれぞれ
グループを作り町へ繰り出す。
私とバオミンさん・リー君・M君の4人は、ベトナム事務所へ。
リー君・M君は日本料理店で夕食。
私は午後7時半から原田先生のご家族、友人の皆さんと
日本料理店で夕食会。
今日はお客さんが21人の来店。
午後9時半過ぎ、全てが終了する。日本料理店の片づけをし
「ハイリーホテル」へ帰る。
さすがに疲労困憊。そのまま就寝。