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2009年11月23日

一昨日、三遊亭円楽の追悼の会があった。
円楽が亡くなってしばらくの間のテレビ、新聞等の
マスコミをかなり詳しく観たり聞いたり読んだりした。

三遊亭円楽の死去報道を通して日本のマスコミの
実態が良く分かった。
結論は、「物事の本質を全く報道せず、皮相的な
報道しかしていない」ということである。
テレビ・新聞など日本のマスコミだけから情報を
得ようとしても「真実」「本質」はなかなか分からない。
テレビ等のマスコミだけを見ていたり、「鵜呑み」に
していると「世の中の本質」はほとんど理解できない
ことが分かる。

円楽師の死去に際して全てのテレビ新聞は
「笑点」の司会を長く続けたこと、後輩の
面倒をよく見たこと、の2点のみを報道した。

笑点の「大切り」は、寄席の「余興]であり、
噺家の本質的な活動ではない。
あくまでも「噺」が終わった後などにする
サービスである。

落語家を誉めるのに「サービス」が良かった
という誉め方はない。あくまで「噺が良かった」
というほめ言葉が本質。
どのマスコミも「噺」には触れず、笑点の司会
(サービス)が良かったとの評論をしている。
ピントがずれている。

しかし、円楽師が本当に心の中で思い、
「意地を張って生きてきたバックボーン」は
円楽の師匠三遊亭円生の「落語協会」からの
脱退問題である。

柳家小さんが会長だった「落語協会」が
「二つ目を10年経験した噺家は自動的に
新打ちにする」との方針を出したことに対し、前の落語協会会長
であり当時、落語協会顧問だった
三遊亭円生が「落語の質が落ちる」として反対。
話がこじれ、三遊亭円生・古今亭志ん朝、
月の家円鏡などが「落語協会脱退」の記者会見
をしたという騒動があった。
落語協会を脱退するということは、東京の定席の寄席に
出られなくなるということであり、生活に直結する。
しかし、落語の衰退を憂いていた円生・志ん朝などが
落語の復興という気持ちをもち、落語協会を脱退しても
という強い決意で脱退会見を行った。
しかし、落語協会からの「切り崩し」もあり、結局、
志ん朝、円鏡(現円蔵)などは落語協会へ復帰する。

円楽の師匠三遊亭円生一門は、最後まで突っ張り
落語協会とたもとを分かち、東京の寄席から排除
されながら、地域寄席・ホール落語などを通して
落語、特に古典落語を守る活動を進めた。
翌年、円生が死去。

最終的には、円生の一番弟子の円楽一門だけが
残り、円生のほかの弟子たちは、落語協会に
復帰するという大騒動があった。

円楽の気持ちの中には、師匠円生の「突っ張った」
生き方を踏襲するという「信念」「気概」があったように
思われる。

円楽を語るには、この問題(最後まで落語協会に
復帰せず、師匠円生の意思を受け継ぎ、落語協会
に復帰せずに生涯を終えた。落語の現状と将来を憂いていた
)という点をこそ、報道
すべきだったとおもう。また、円楽を語るには、
その点こそがテレビでは言えない円楽の本当に
言いたかった「意地」ではなかったかと思う。

こうした「複雑な事情」は今のテレビと言う放送媒体では
しち面倒くさい。単純な「笑点で大活躍の三遊亭円楽」
というレッテルだけの報道となってしまうのである。
こうした報道姿勢は、他の政治などの報道にも共通する
ものである。

社会の出来事は何事も「単純に一言では」言えないものである。

投稿者 koyama : 2009年11月23日 16:31

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